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第10回:短期集中連載①:学力テスト“生き残り”作戦?

投稿日:2009年11月19日 カテゴリ:教育insight

■中止でも生き残るテスト“ゾンビ”?

すでに報道されているように、2009年4月に3回目の悉皆調査方式で実施された全国学力テストは、来春の2010年度はとりあえず抽出方式に変更。2011年度以降、さらなる見直しをすることが決まったようだ。もちろんこれは、歓迎すべき措置なのだが、現状をよく見ると、少しも楽観できない。

なぜなら、第一には、今後見直されるかもしれないが、「学級数」の40%という高抽出率になっているからである。これでは悉皆調査とかわらず危険な上、抽出調査に切り替えた意味がない。また、自治体単位での自由参加も認める方向なので、「テスト競争」意識の高い自治体なら、自前で採点し、分析などの経費や業務も一手に引き受け、自らの地域に引き寄せて、もっと競争させ、さらにテスト対策を強化することも可能だからである。

第二に、新政権が抽出方式に切り替えることを見越して、すでに自治体によっては、独自に実施するテストの精度を上げるべく、解析ソフトまで開発しているという。都道府県テストによって市町村や学校を序列化したり、全国学力テストへの自由参加方式を活用することによって、全国での大まかな位置を割り出し、各学校を企業の目標管理方式であるPDCAサイクルに追いこみ、コントロールすることも可能である。むしろ、この二つを効果的に活用すれば、現行の全国学力テスト以上に精度を上げ、強制力を発揮させることも可能である。

こうして、全国学力テストはまるでゾンビのように何度も息を吹き返す。これが「テスト競争」の本質なのである。この競争依存症ともいえる現状から脱却し、個に応じて、すべての子どもの「学力」をどこまで伸ばすかという「教育条理」の通る学校にしなければなるまい。

■テストとは何か

ところで、テストとは一体何だろうか。原点に立ち返って考えてみたい。そうしないと、たとえ政治的な力で学力テストが中止されたとしても、先述の通り、一部の地方教育行政関係者の間では、自治体独自のテストを模索したり、抽出方式への強制的な「自主参加」を促そうとしたりしているからである。

学校におけるテストとは決して“競争”が目的ではない。

テストとは本来、個々の子どもたちの学習上のつまずきなど問題点を明らかにし、教員の指導の改善に役立てたり、子ども自身の学習方法の手直しに役立てたりするためのものである。また、全国調査や全県調査などは、カリキュラム研究や教育政策、財政支援の見直しやそのあり方の研究など基礎資料に資するための一つの方法にすぎない。

そうであれば、第一には、これまでのデータをもっと研究者・公的機関に公開すべきだろう。そして、学校・学級規模、教育方法、地域、経済情況、家庭の文化、親の学歴と学力との相関関係や学力形成に与える環境・条件を明らかにして、行政の教育施策に大胆に生かすことこそ本筋ではないだろうか。

これまでの3回に及ぶ「全国学力テスト」のように、国家が各学校や教員の授業のあり方にまであれこれと口を出したり、生徒個人の学習上の問題点などを分析・検討し、子どもや家庭に改善を勧告したり、地域ぐるみの「早寝」「早起き」「朝ごはん」「挨拶」運動を展開したりするなどという姿勢は、まるで戦前の全体主義国家時代の発想と活動スタイルそのものではないか。どんなに“善意”からの発想であっても、子ども参加抜きの、子どもとパートナーシップを組まない大人の側の一方的な運動では、今日の世界水準における民主主義の感性とは大きくかけ離れており、危険であるだけでなく、恥ずかしいことといわなければなるまい。

第二に、これまでの悉皆調査では、競争的な「対策学習」による影響がテスト結果に如実に反映されてしまう。バイアスのかからないありのままの子どもたちの「学力実態」を把握するためには、抽出調査に切り替え、事前の「対策」が生まれないようにした方が調査としては信頼度が高く、活用もしやすい。

■競争信仰の論理は?

河北新報「持論時論」(2009年10月16日付)に「全国学力テスト一斉調査での継続望む」と題して、前秋田県知事(寺田典城氏)が投稿している。

氏の論点は同じような施策を主張する他の知事の典型とも言える。“競争テスト依存症”にとりつかれた論理を、少し客観的・研究的な視点で分析しておこう。氏は以下のように主張する。

①1964年当時の全国学力テストでは秋田県は全国平均を下回っていたが、今回トップクラスに躍進した。「田舎であっても教育力次第で全国トップクラスの学力を身に付けられることが明らかになった」。

②「教育力」とは、「『早寝・早起き・朝ごはん』という基本的な生活習慣」「非行や犯罪が少ないこと」「少人数学級により、多様な学力の児童・生徒に対応したきめ細かい支援」である。

③以上のことが「テストで結果として表れたことだけでも、全国一斉に行われた意義は大きい」。

④抽出にすると「学校ごとの分析や個人ごとの支援に支障を来す」「教育に情熱を持っている学校や教師から実力を発揮できるチャンスを奪う」「自らの努力を評価されたいと頑張っている学校や児童・生徒の意欲の低下を招く」。

⑤「さらなる学力の向上を目指し、少なくとも市町村ごとの結果は公表すべく」、「政治的リーダーシップを発揮してもらいたい」と新政権に檄を飛ばしている。同時に「地域が一体となった取り組み」の促進も主張している。

■現場教員へのサポートこそ大切

ところが氏は、「グローバル社会」の中で「日本こそ、世界に平和と技術を提供するという大きな意味での国際貢献が必要」とも認識している。「教育こそが日本の生き残りの戦略」だと述べ、世界に貢献できる子どもたちの育成を望んでいる。この点は誰しも合意できるのではないか。

しかし残念ながら、これらの主張の欠陥は、一つは、事実認識があまりに通俗的すぎること。秋田県がトップクラスである原因や背景分析が単純で、甘すぎる。都市部と「田舎」との生活文化基盤の相対的な落差が「学力」の逆転を生んでいることは、福井県や富山県など他の地方都市も上位に位置し、大都市大阪府の凋落が激しいことからも推察できる。

二つは、基本的生活習慣と「学力」は単なる「相関関係」に過ぎず、生活習慣を「教育力」に祭り上げ、「因果関係」までも暗示するのはいかがなものか。この二者はストレートな因果関係ではなく、「遊び」や「自然体験」「人間体験」など抜きに学習効果、「学力」の向上は考えにくいのである。

三つは、基本的生活習慣の重視と学力の相関は、教育界では80年代から「見える学力、見えない学力」論としてあまりにも有名である。同名の著作が80万部を超すベストセラーになったこともあり、とりたてて言うほどの特性ではない。また、新しい「発見」でもないのである。

四つは、全国200万人以上もが参加する超大規模テストで、なぜ「学校ごとの分析や個人ごとの支援」ができるというのだろうか。身近な個別的課題に関してまでも、そこまで国家の力に頼りたいのであろうか。信じがたい権威主義と批判せざるを得ない。

そのような個別の課題に関しては、各学校でそれぞれの教員が責任を持って指導し、日々実践を重ねている。そこへの手厚い支援こそ地方行政、トップリーダーの仕事であろう。

学校と教員を横一列に並べ、「テスト競争」レースのムチを入れることではないのである。

【第2回につづく】

新刊情報

160318-0737

尾木ママ

誕生日:
1947年1月3日
血液型:
A型
出身地:
滋賀県
現在の住まい:
東京
職業:
教育評論家、法政大学特任教授
臨床教育研究所「虹」所長
出演番組:
NHK教育(Eテレ)「ウワサの保護者会」
(土曜21:30~21:54放送 ※MC)

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