書籍情報

両親の慈愛

投稿日:2009年3月1日 カテゴリ:エッセイ

金木犀の甘い香りが、街中に漂い始めた10月上旬のこと。

「あらー、どうして直樹がここにいるの?」

ベッドに横たわった母は、こう言うなり目を見開いて私の手を握った。

「うん、直樹だよー。よくわかったねェ。お母さん」

少し冷たい母の手を握り返しながら、私は力を込めて答えた。まさか、私のことを認知でき、自分から話しかけてくるとは。予期していなかった母の反応に驚いた。

「近くに講演に来たから、お見舞いに来たんだよ」

母との「会話」の心構えが出来ていなかった私は、一瞬うろたえながらもこう答えていた。まさか、父親の四十九日の法事で郷里に帰ってきたなどと正直に言えなかったのだ。そんな私に、母は「ありがとう」と手を握り返してきた。

「厳しいですが、はっきり言って、お母さんは、どんなに長くてもあと3か月です」

医師から、こう宣告されたのは7月のこと。どんなに現代の医学が進歩しても、89歳という母の年齢を考えると、完治はかなわないのか―と、無念な思いにとらわれていた。

ところが、である。母より元気だった96歳の父が、急性肺炎で緊急入院。3週間の闘病後、急逝したのだ。まさか、余命3か月の宣告を受けている母よりも先に逝ってしまうとは―。

父の死を病床の母に伝えることははばかられた。70年近くも連れ添ってきた“空気のようなつれ合い”が急逝したことを知れば、きっと気落ちして、あっという間に父の元に逝ってしまうに違いない。

しかし、父の遺影を見上げ、お経をあげると、しみじみ親子の絆を実感させられる。

これまで空気のごとく当然のように受けていた両親の慈愛。失ってみて初めて実感として迫ってきた。

父は、気象台の予報官であった。そのせいか、私の夏休みの「自由研究」といえば、雲の観察であったり、水温の変化の記録であった。小学生にしては長期にわたる科学的「研究」のためか、よく賞をいただいた。すると、その度に「お父さんのアイデアの勝利だな」などと、一人悦に入っていた。

父の予報官ぶりは、家族の日常生活にも影響を及ぼしていた。

毎朝、「うーん、風向きは―、南西。2.5mだな。雲は―」などと体感と目視で観測。「今日は、昼過ぎからにわか雨。直樹、傘を持っていけよ」などと、指示が出る。誰も持って登校しない日でも、私だけは傘を持たされ、恥ずかしかった。しかし、午後になると、急に雨模様に。「さすが、直ちゃんのお父さんは違うねー」などと友達にうらやましがられたものだ。

また地震のときにも、わが家には変わった習慣があった。グラッと来た瞬間から家族総出で観察体制に突入。いや、正確に言うと「グラッ」の直前からだ。就寝時でも、ドンドンドン…と背中を突き上げる縦揺れ、初期微動が何秒間続いたか時計で確認し、次に大きな横揺れを待ち構える。ユッサ、ユッサ。大切なのは揺れの方向。北か東か、部屋を照らす電灯のヒモの揺れ具合を観察。これらによって、たちどころにだいたいの震源地や震度を推察する。「長野県かも」。父がメモを見ながらつぶやく。即座に計算する。これが敷地内の官舎住まいだと大変。地震発生と同時に、父は上着をはおり、庁舎へ駆けつける。情報収集とマスコミ対応の準備のためだ。

今日の私は地震ならぬ、教育関連や青少年犯罪の事件が発生するや「出動」(?)体制。新聞、テレビにコメント。機敏に分析・予測する。こんな私の仕事にも、父親の姿が重なる。

父を中心に家族があり、それを母が陰日なたなく支えていた。そんな両親のもとで私は育った。父の死に接し、そして、母との思いがけないひとときを味わい≪親の慈愛とは、喪失して初めて身にしみるものなのか≫と思う。

ほんとうに家族はいい。心安らぐまで存分に甘えていいのだ。

(「Let’s!家事おやじ」『佼成』2008年12月号)

“教育パパ”が往く

投稿日:2009年1月1日 カテゴリ:エッセイ

「どうしてお父さん、法学部を薦めなかったの? 私、弁護士か薬剤師がよかったかも」

えっ! ウソだろう? そんな! わが子の進路を親が決めるなんて。モンスター級の“教育パパ”じゃないか―。大学生の娘が、自分の進路を考えあぐねて、ふと漏らした言葉に私はびっくり。

確かに、資格は職業に結びつきやすい。私も暗記が得意な娘を見て、弁護士もいいかも―と思ったことはあるものの、倍率は高いし、勉強漬けというのもかわいそうだと、法学部への進学はあまり強くは薦めなかったのだ。

「どうしてお父さんもお母さんも、自分たちが理数系が苦手だからって、自分の子どももそうだと思い込んだの? 本当は私、数学好きなんだけど…。ずいぶん進路を狭められてしまったなぁ」と、娘は不満を漏らしたこともある。

うむ、確かに当たっているかもしれない。夫婦そろって数学は大の苦手。てっきり、親の得意不得意はわが子にも遺伝するものと信じていた節がある。

あーあ、理数系にもっと目を向けておいてやればよかった。ひょっとしたら薬剤師なんていう道も、うちの子に合っていたのかもしれない―なんて後悔することしきりである。

「親が方向付けしてやらなくてどうするんです。本人は情報も判断力もないんですから」などというお父さんにもよく出会う。しかし、その都度私は、なんという“教育パパ”なのかと半ばあきれていたものだ。それだけに、わが子からそういうパパぶりを求められるとさすがに動揺する。自分は間違っていたのか。もっとわが子の進路に口を出したほうがよかったのだろうかと思ってしまう。

いやいや、そんなはずがない。「よい子」が親の期待に応えられなくて、すべてをリセットしたいと「父親殺し」に走ったり、自宅に放火して母親と弟妹が犠牲になる痛ましい事件が起きたりしているではないか。どう考えても親が方向付けするのは間違いだ。迷いながらも自ら進路を切り拓いていく意志と学力を身につけさせてやることが親の務めなのだ。

教師という職業柄、多くの子どもや若者の進路に付き合ってきた。その経験から言っても、親や教師の役割は、キャリアを拓く芯になる部分を耕してやること、鍛えてやること以外にはない。先回りして人生設計を描いてやることではないはずだ。第一、そんなプロセスを経て職に就いても、いずれ出合う困難を打開していく情熱が持てなくて、途中で投げ出しかねない。最近の政治家を見ても、世襲議員の脆さはよく批判されているではないか。

しかし、振り返ってみると、私自身ひょっとすると“教育パパ”だったのかもしれない(?)

上の娘の子育てなど、妻が働いていたこともあって、いやいや、私が子ども好きで器用だからという理由から、乳幼児期はほとんど私一人で子育てしたようなもの。授乳からオムツ交換、離乳食づくり、保育園の送迎を含めて、何でも一手に引き受けていた。

そのせいか、娘は大学生になっても「お父さん、一緒に洋服買いに行こうよ」などと誘ってくれていた(もちろん、私のサイフを頼った下心も透けていたのだが)。

心優しい子、感性豊かな子に育ってほしいと、毎日絵本の読み聞かせにいそしんだものだ。数百冊の絵本を買い、一時は家庭文庫を開けるほどの冊数に達していた。それでも飽き足りなくなった私は、娘に添い寝しながら毎晩“パパのお話”を語り聞かせて楽しんでいた。だからといって、特別、国語好きにも表現力豊かにもならなかったな? “教育パパ”というのも難しいものだ。

「ねぇねぇ、お父さん! 続きはー?」。はっと気づくと、いつの間にか眠り込んだ私を突っついている娘の指の感触が、今もほおに残っている。

(「Let’s!家事おやじ」『佼成』2008年11月号)

親父はつらいよ

投稿日:2008年10月1日 カテゴリ:エッセイ

「ねぇー、お父さん。ここによく来たわねぇー」

立ち止まった妻は、「校長室」と書かれたプレートをしげしげと見つめながら、ひとり言のようにつぶやいた。私もつられて眺めると、身の縮むような思いと共にいくつかのシーンがまざまざと脳裏をよぎった。

二人はしばし、校長室前の廊下にたたずみ、文化祭でにぎわう人ごみの中で「校長室」というプレートに見入っていた。

※   ※

「お父さんでしょうか?」

原稿の〆切が迫る中、悪戦苦闘しているというのに迷惑な電話。気もそぞろに受話器を耳にあてると、どこかで耳にした男性の声。「あっ、ハイ!担任の○○先生ですね!」私は即座に記憶の糸を手繰り寄せ、愛想のよい声を発していた。

「あのうー、うちの子が〝また〟何か?」

私の声のトーンは急に消え入りそうに落ちていた。

「ま、お父さん。また学校に来ていただくことになると思います。今度は間違いなく校長室呼び出しですが、私からは一切言いません。本人の口から直接聞いてください。そのように指示し、今しがた帰しましたから―」

こう言われたのでは、返す言葉がない。

「はあー、ご面倒をおかけします。スミマセン、いつも」

しおれるように私は言葉を飲み込んでいた。こうなると、もう原稿どころの話ではない。「担任の口から言わない、なんてことはこれまで一度もなかったぞ―。そんなに言いづらい悪質な悪さをしたのだろうか。マズイなぁ。これはまいったぞ」。

「あなた、うちの子がもしも新聞沙汰を起こしたら、教育評論家終わりよ」といつか言った、妻の声がよみがえっていた。  あれやこれや思いを巡らせているところへ、娘が帰宅。

「お父さん、担任の先生から電話きた?」

意外に明るい。

「うん、さっき。何だか『本人から聞いて下さい』って。先生、すごく怒ってた」

「あー、やっぱり。うん、あの消火器。廊下に置いてるの。あれをまいちゃったの。廊下一面、真っ白になっちゃったー」

言い終わると、横のソファーに娘はふぁーと言いながら腰を下ろした。私はそれを見ながら、内心すっかり安心。よかった、人様を傷つけたり、犯罪を犯したのじゃなくて―と。

そんな安心をしなければならない父親も辛いもの。だが、当時はそんな贅沢言っていられなかったのだ。

とりあえず安堵はしたものの、しばらくすると胸の奥の方から重い衝撃が突き上げてくるのがわかった。

というのも、4、5日前に、娘が消火器はどんな構造なのかと問うものだから、栓を抜くと勢いよく泡が飛び出して、手で押さえても絶対に止まらない、廊下なんかでそんなことになったら大変だし、新しい薬品を詰め替えるのも高いお金がかかるから、誰かがいじったら、注意してやめさせた方がいいよ、とアドバイスしたばかりだったからである。

まさかわが娘がその〝主犯〟になるとは想像だにしなかった。あきれて、私がそのことを口にすると、「うん、だから私、お父さんが言ったこと本当かなーと思って」などとのたまうではないか。なんということを!親父の説明が正しいかどうか試したというのだ。挙句の果てに「お父さん、間違ってたよ。泡ではなくて粉が出てきたよ。真っ白の。掃除、大変だったけど」と「報告」。私が絶句したのは言うまでもない。

その娘が大学生になったある日、私は、勇気を奮って当時の真理を尋ねた。ところが、一言。「なんだか体が勝手に動いてしまった。自分でもよくわからない」と言う。

これも思春期らしい心の一つの動揺だったのかもしれない。が、私は心臓がいくつあっても足りない日々であった。

親父はつらい―子育てはむずかしい。

(「Let’s!家事おやじ」『佼成』2008年10月号)

「ちぐはぐ」にも感謝

投稿日:2008年9月1日 カテゴリ:エッセイ

人間関係は難しい。

「還暦を迎えたのに、まだそんな青くさいグチを―」なんて笑われそう。だが、コミュニケーションの難しさは、年齢を重ねても大して変わらないような気がする。

その理由として、私の場合第一に、仕事が忙しすぎることである。自分の気持ちを正確に相手に伝える時間がなかなかとれないのだ。それに加えて、年齢ゆえの甘えが生じてきて、コミュニケーションをおざなりにしがちであるということが大きな原因ではないだろうか。

しかし、だれにとっても、いつの時代になっても、コミュニケーション不足が人間関係に亀裂を生むのである。

こんな世知辛く、生きづらい職場や世間だからこそ、夫婦や家族間の日常的な信頼に基づいたコミュニケーションは、私たちの心を癒やし、安心をプレゼントしてくれるのだ。

お父さんのスピード料理

投稿日:2008年8月1日 カテゴリ:エッセイ

昔はよく「秋ナスは嫁に食わすな」と言ったものだ。諸説あるものの、秋ナスはおいしいので、憎らしい嫁に食わすのはもったいない。姑の意地悪なのだという解釈にも納得させられる。

ナスといえば6月から10月が旬。日本人で「ナス嫌い」の人はあまり聞かない。

「ナス紺」の色も鮮やか!とくに、皮には衣をつけないで、上手にキツネ色に揚げられた天ぷらなど最高に美味。「ナス紺」を愛でながら、ゆっくりと口に運ぶ瞬間がたまらない。

「えっ、お父さん、またナス!?」

娘たちは、私が料理を作ると、決まってこんな悲鳴とも喜びともつかぬ叫び声を上げる。それくらいわが家では、「お父さんの手料理=ナス」のイメージが定着している。

実は、ナスはキュウリや冬瓜と同様に90%以上が水分でできている。だから幸か不幸か、栄養価は高くない。せいぜい皮に含まれているポリフェノールの一種であるナスニンなる栄養素くらいしかない。したがって、私の大好物の、丸ごと焼きナスにして皮をむいた「焼きびたし」は、カロリーは限りなくゼロに近い。生活習慣病や「メタボ」を気にする人にはぴったりの食材である。

ところで、このナス。スーパーで買うときから戦いは始まる。私は、いつも最初にヘタの状態をチェック。取った手のひらにツンとトゲが刺さるか、切り口は新鮮か、「ナス紺」は鮮やかか、実際に持ってみて軽くないかどうかを調べる。軽いのは、包丁で切った時、まるでスポンジのようにスカスカしている。やはり、重い方がいい。冷蔵庫に入れて時間がたつと、切り口に黒いゴマ状の点々が浮いてきたりしておいしくない。ナスは低温に弱いのだ。だから袋詰めより、バラ売りの物を1個ずつ確かめて、買い物カゴに入れる。1人1個の見当で、4人家族だからたいがい4個買う。1回で使い切るためだ。

ナス料理のレシピで、その日の私の忙しさと愛情度が計れる。最高の多忙さを象徴するレシピは、何と「焼きナス」である。なぜなら、一番てっとり早いからだ。逆に、ゆったりモードの日は「ナスの田舎煮」。これらの中間が「ナスとピーマンのみそ炒め」といったところか。単純なレシピでも、これらにどんな薬味を添えるかによって、愛情度はいかようにも調整可能である。バージョンアップもできる。そこが料理の楽しさだ。

今回は、超多忙時の「焼きナス」。だれでも簡単に作れる。以前は、最初に水にひたして灰汁抜きをしていた。しかし、これでは栄養素が全部流れかねない。いくら何でも、伸び盛りの娘たちの体によくない。だから今では、塩を軽くふってしばらくおく。まな板や包丁を取り出す前に、手際よくやるのがコツだ。

ナスは縦に四つ切り。油はオリーブかコーンを敷く。水気はしっかりふきとり、中火で焼く。油をよく吸収するので、思わず油を継ぎ足したくなる。しかし、ここが肝心。我慢のしどころ。しばらく待っていると、さっき吸った油が、今度は逆にナスからにじみ出てくるから不思議。皮も美しい「ナス紺」に光ってくる。

薬味には、おろしショウガ、ミョウガ、シソなどが合う。何とバラエティーに富んでいるではないか。少し時間にゆとりがある時は、鳥のミンチを炒めて田舎みそ、みりん、酒を少々加えて片栗粉でとじ、タレを作る。これが長女の大好物。配膳の際、彼女のナスの上にタップリかけてやると、「ワァーイ、やった!」と目を細めて喜ぶ。その顔を想像すると、足が棒のように疲れていても元気が出てくる。つい頑張ってしまえる。

愛情でいかようにもバージョンアップできる私のレシピ。何と便利なことよ。「ナスの田舎煮」や「油焼き」、「ショウガじょうゆあえ」もいい。真夏には、「みそからし漬け」や「浅漬け」。

さっぱりした食感に娘たちも生き生きとよみがえる。

(「Let’s!家事おやじ」『佼成』2008年8月号)

大失敗した私

投稿日:2008年6月1日 カテゴリ:エッセイ

確か、上の娘が大学一年生の頃である。

「どうしたの?チョコは嫌いじゃなかったの?」

絨毯一面にチョコの包装紙が散乱した、娘の部屋に足を踏み入れたとたん、私の口からは、そんな言葉が飛び出していた。

ところが、私の顔をしばらくじっと見入っていた娘の両目から、突如としてハラハラと大粒の涙が頬を伝った。

「だって―」

意を決したかのように、娘は口を開いた。

「お父さんも、お母さんも、チョコを食べないと喜んだんだもん―」

「ええっ!それで、これまで食べなかったの?お父さんたちは虫歯にならないように気をつけていただけなんだけど―少しなら元気も出るし、かえって体にいいんだよ」

私は、焦って弁解していた。

「だから、いろんな人から頂いた時も口にしなかったの?我慢していたの?」

フーっ。私は20年間分の、長い長いタメ息をついていた。

〝子の心、親知らず〟とは、まさにこのこと。

さらに驚かされたのは、大学を卒業する先輩から不要になったテレビとファミコンを譲り受けた時。

ふと気付くと、娘はテレビの前に陣取り、ゲームに熱中。

実は彼女、テレビの視聴時間は誕生以来、小学校に上がるまで、合計しても数時間足らず。「テレビ嫌いっ子」だったのだ。だからこそ、ファミコンも買わなかった。

学校で、保護者からテレビやファミコン漬けの悩みを耳にすると、どうしてそんな簡単なしつけもできないのか、本当に不思議だった。

ところが、ここでも娘は、テレビ視聴をあまり好まない「親の意向」を鋭く察知。テレビ嫌いの「イイ子」になっていたのだ。チョコもテレビも嫌いな「イイ子症候群」に陥っていたのだった。

それからしばらくの間、娘の部屋には、深夜までチョコ菓子片手に満面に笑顔を浮かべながらテレビに見入る娘の姿があった。

あの涙は、今でも私の脳裏に焼きついて離れない。

わが子育て史上、最大のあってはならぬ失敗であった。

子は親の「本音」を読みとる天才だ。そのことを忘れて長期間娘の心を縛り、いつの間にか親が求める「イイ子」を演じさせてしまっていたのだ―。

娘は本当に明るい、保育園の模範っ子。そんな彼女ですら、そこまで親の本音に合わせ自分の要求にブレーキをかけていたとは! 衝撃以外の何物でもなかった。

当然、私も大人の価値観を子どもに押しつけるべきではないことなど百も承知。

だからこそ自主的にものごとが判断できるように、多くの情報を与えながらも自分の力で判断させていた。しかし、それは親の自己満足にすぎなかったようだ。いかにも子ども自身が判断しているかのように、上手に操作していただけにすぎない。

子育ては本当にむずかしい。

とくに、親にとって上の子はすべてが初体験。何事も、育児書と首っぴき。まるではれ物に触る慎重さである。それだけに〝受け手〟の子どもにかかるプレッシャーは絶大だったのだ。

親はわが子と本気になって身体をぶつけ合うこと。すもうをとったり山登りで共通の汗を流したりするのが一番大切だ。子どもと同じ目線で遊び、生活をする時間と空間を多く持たないと、親の本当の思いや願いは伝わらないのだ。理念だけでは空回りして、芯のあるたくましい子は育たない。

あの時の娘も、今では30代。シカゴに住んでいる。

(「Let’s!家事おやじ」『佼成』2008年6月号)

あいまいに、「どうしたの?」

投稿日:2008年5月1日 カテゴリ:エッセイ

今回は、女性に向けた注文? よく言えば「夫への接し方」のヒントである。定年と同時に夫婦の「プロローグ」や「以下省略」の悲喜劇を迎えないための知恵である。

そのヒントは<決めつけないこと>。「どうしたの?」の一言がかもし出す心の柔らかさが、夫婦の愛を枯らさない井戸になってくれる。換言すれば、「どうしたの?」という妻の一言が、肩ひじ張った夫の心と生活を和らげる。

たとえば、夫は会社で嫌なことがあったらしく、イライラしている。不機嫌そうな顔で帰宅。明日は中学3年生の長女の、大切な高校入試だというのにである。

こんな時、妻にはどんな一言や対応力が求められているのだろうか。妻は、夫以上に子育てに対する責任感が強い。また、子どもと一緒にいる時間が長いので、子どものデリケートな気持ちがわかる。だからこそ、つい「イヤーね、お父さん」などと一言発していないだろうか。非難がましいナナメ目線で夫を見つめてはいないだろうか。グチとイヤミを言う時の、目をつり上げ、感情丸出しの表情をしていないだろうか。

あるいは、もっとはっきり文句を口にしていないだろうか。

「少しは、子どもたちに気を使ってやってくださいよ。お父さんがこれじゃ、娘が実力を発揮できないじゃありませんか。失敗したら、お父さんのせいですよ、もう!」なんてかみついていないだろうか。

これらに対する夫のリアクションは、法則のように決まっているものだ。「ルせぇなァー。そんなこと分かってるよ。だからヤな顔一つせず、『ただいま!』って元気に帰宅しただろう。お前こそ、こんな大事な時に、子どもの前でグダグダ言うもんじゃないよ」と夫に反撃されるのがオチであろう。

でも、この時に――。

「お父さん、どうしたのぉ~?」

と語尾をやや長めに引いて、やさしく聞いてみる。

すると、「いやはや、大変も何もあったもんじゃないよ。先週オレが口頭で報告したにもかかわらず、部長はそんなの聞いてない――の一点張りなんだから」「おかげでオレは、部下をなだめるために夕食をごちそうしたりで、大変だったよ」

などと、やさしく低いトーンに生まれ変わる。

「まぁー、大変だったのね、ご苦労様――あなた」
「そう言えば、あの部長さん、以前にもそんなトラブルなかった?」
などと、一緒になって部長の悪口も言うと、夫の胸のつかえもとれる。

「ペーパーで出しておかないあなたもいけないんじゃないの」とか「何回失敗しても部長への対応が上達しないわねー」などと、切り返そうものなら大変。あいづちを打ち、妻が夫の心や感情に寄り添うことで、夫は安心し、元気になる。そして、自分の力で問題点を整理する力がわいてくる。

「今度からオレ、部長にはペーパーで提案や報告するようにするよ。金輪際“口頭報告”はやめるよ」などと明解な方針まで示せるかもしれない。「オレも大変だけど、娘はもっと大変。娘に負けず頑張らなくっちゃー」などとやる気満々になるもの。瞳も輝くに違いない。

妻から夫への接し方の、第一法則は<決めつけない>こと。とくに夫婦間では、白黒をあまりはっきりさせないことが大切。つまり、あいまいさを大切にすること。“ありのまま”こそやさしさをはぐくみ、いくつになっても夫を支え、自分も支えられるインタラクティブ(相互作用)な関係づくりの要である。楽しい老後づくりのコツでもある。

「どうしたの?」の妻の一言が、家族の心を平和に結んでくれる。

(「Let’s! 家事おやじ」『佼成』2008年5月号)

家族を結ぶ天然ボケ

投稿日:2008年4月2日 カテゴリ:エッセイ

「お母さん、さっきから何探してるの?」

家族のみんなは、早く宿を出てゲレンデに行きたいのに、何やら探している妻。

「うん、それが不思議なの。ここに置いたゴーグルがないの」

それは大変。外は吹雪。今日のスキーには必需品だ。私も娘2人と一緒に、ザックの中や部屋の洗面台などを探す。でも、ない。

へんだねーと、がっかりして家族4人が顔を見合わせたとたん、下の娘が大きな声を発した。

「お母さん! 頭につけているのはナァーニ?」

見やると、妻のスキー帽の上に、ゴーグルがしっかり乗っているではないか。みんなで大笑いしたことは言うまでもない。

とにかく妻の“天然ボケ”エピソードには、こと欠かない。おいしそうなスクランブルエッグを口に運んだとたん、ガリッ。「あれーお母さん、何かヘン。塩の固まりみたい」。娘がけげんそうな顔をしながら、コップに水を注ぐ。「うーん、もしかして、砂糖と塩を間違えたかしら」と妻。「見た目はそっくりだもんね」と私。みんな妙に納得。それから私が、砂糖と塩が入った容器のラベルを、砂糖の方には「塩」、塩の入った方には「砂糖」と逆にしたら、その後一度も間違えなくなったから不思議。今ではすっかり“正常化”している。

またある時、助手席の妻に車のナビゲートを頼んだら、「お父さん、その信号、右よ」と、実にタイミングのよい指示を出す。私がハンドルを右に切ると、

「あら、お父さん。どうして“左折”するの?」

「だって、右は、お箸を持つ方だよ」

妻が右と左を間違えたことに一瞬にして気付いた私が、こうアドバイスすると、

「あらー、そうだったかしら。ヘンね」

こんな調子で、わが家は妻を囲んだ笑いが絶えない。人間、あわてることないなぁと、しみじみと思う。

妻からは学ぶことが多い。夫婦の間では、「正しいこと」が必ずしも正義でも真実でもないからだ。大切なのは“認め合うこと”そして“許しあうこと”である。

近年、「熟年離婚」「定年後離婚」が増えていると耳にする。インターネットの離婚サイトでは、離婚する時に妻がいかに有利に慰謝料や年金を受けとるか、法的なアドバイスが飛び交っている。経験交流も盛んだ。こんなにしっかり学習し、戦略を練り上げている妻たちに、いきなり別れを切り出されたのではたまらない。まず、夫側に勝ち目はない。

「そんな!」とびっくりするようなささいな理由であっても、妻にしてみれば、30年、40年来の苦悩の末の“決断”なのだ。

妻の人権は侵していない、浮気もしていない、などといかに多くの「ない」を積み上げてみせても力にはならない。夫婦にとって大切なのは、無数の「ない」よりも、小さな「ある」の存在感、実感であろう。ちょっとしたことでいい。さりげないことでいいのだ。毎日、帰宅したら玄関の家族全員の靴をそろえる。高い所の窓ガラスふきは月1回お父さんがやる、など。とりたてて“家事”と力まなくてもいい。缶切りやビン空けはオレの仕事と決めてもいいし、何よりも「毎日大変だね」「ありがとう」「助かるよ」などという感謝の言葉の積み重ねが一番。これらが何より夫婦の心をつなぐ。心がしっかりと結ばれていれば、熟年になろうが、定年で生活スタイルがガラリと変わろうが、夫婦の心のリズムが狂ったり、妻から「ぬれ落ち葉」「粗大ゴミ」扱いされる心配もない。

現役時代の夫の家事・育児参加こそ、定年以降の長い「第二の人生」の幸せを決定づける鍵といっていい。

男性諸君! 今日は何をしましたか?

(「Let’s! 家事おやじ」『佼成』2008年4月号)

私の「ことば」生活

投稿日:2008年4月1日 カテゴリ:エッセイ

“ことば”は、私の生の証、生活そのものである。
今日は静岡で、明日は大阪で講演。夜はホテルで二晩連続の原稿書き。
365日、こんな毎日の繰り返しである。しかし、これまで講演も、執筆も、文字通りの「繰り返し」はない。2500回近い講演も、170冊を超す著作も、すべて同じものはないからだ。
私にとって、「話すこと」と「書くこと」は、両方とも聴き手と読み手に向かって、「ことば」を武器に未知との遭遇を演出する“息づかい”そのものである。「話す」「書く」という動作によって、私の心を相手に届ける営みである。
したがって、私は原稿を読み上げる講演はしない。講演は、閉じられたペーパー空間を飛び出して立ち上がる舞台である。聴衆のうなずき、目の輝き、小さな表情一つから、その喜びを受けとめ、共感する。時には解説し、説得に入ることもある。たとえ1000人規模の講演であっても、私は、会場の1人に向かって“心”を“ことば”に置きかえて、音声として発する。心と心を共鳴させながら、一つのテーマを考え合う、それが講演である。
だから、居眠りしているお客様をそのまま見捨てて話し続けることはできない。
「先生の講演は、テレビで観るのと全く違うんですね。こんなに面白いとは思いませんでした」とか、「深刻な話なのに、お腹をかかえて笑いました。声出して笑いながら聴く講演なんて初めてです」などと、どこでも同じような感想をいただく。
そのたびにうなずきながら、私はこうお話ししている。
「だって、テレビは無機質なカメラに向かってコメントするのですから。聴き手不在なんです。今日の講演は、皆さんと一緒につくったんですよー」
講演とは“話したいことを舞台俳優のように全身で表現して演ずること”であるというのが、私の持論。
かつて著名な大学教授が、「私は、今日の講演のために、原稿を書いてきました。それを読み上げます」と言って、壇上でマイクを前に目を落として、90分間ただひたすらに「朗読」した。聴衆の大勢が安らかな眠りについたことは言うまでもない。
難しい内容を、抑揚もなくただ棒読みで聴かされるのは、一種の精神的な拷問である。体が素直に反応して、聴衆は眠ることによって苦痛から逃れたのかもしれない。
それにしても、こんな講演は参加者に失礼千万。それなら、原稿をパンフレットにでもして配り、“講義”した方が親切だ。活字文字による表現にこだわるのであれば、それに徹して責任を持つべきではないだろうか。
しかし、私にも失敗がある。苦手の一つは国会における「意見陳述」である。ここでも、いつもの習性で、各党の議員の目を見て、引きつけて話さないと意見陳述した気分になれないのだ。だから、レジュメは準備するものの、持ち時間の20分はフリーで話す。すると、先日など、議員さんのあまりの反応の鈍さに驚き「プロフについてご存知の先生方、挙手お願いできますか」などとアクションを入れてしまった。「意見陳述」という責務からすれば、場外乱闘になってしまった。反省することしきりである。
私の講演では、常に“ことば”を立体化させることを心がけている。だから、演卓の前にじっと立ったままということは、ほとんどない。とにかくよく動く。時には階段を下りて、聴衆に意見や賛否を問う。また、視覚にも訴えるためにホワイトボードを使う。3000人相手でも、ステージ上をよく歩く。そして、書く。2階席からでは見えない。しかし、それでいいのだ。少しでも参加者に伝えようとする私の心を、“ことば”以外の「動き」によって立体化していくのである。
「先生、勇気が出ました」「元気をもらいました」
立体的なアクチュアルな“ことば”は人々を元気にさせる“魔法の力”を秘めているのだ。
ところで、“書きことば”の方はどうか―。
いや、恥ずかしい。肝心のこちらの方について書くスペースがなくなってしまったようだ。“書きことば”はごまかしがきかない。なんとも厄介である。

(「エッセイ」『ことばの学び』16号、2008年4月)

巣立ちの3月に

投稿日:2008年3月1日 カテゴリ:エッセイ

「お父さん、本当にいいの?」

妻が何度も念を押す。私も妻の不安がわかる。だからこそ、

「大丈夫―。昔の人はよく、こういうのは“一生もん”って言ったんだよ。多少高くても、有効に使うことが大事。卒業式だけでなく、娘はよく海外にも出かけるのだから、着物を着て日本の文化をPRしなくては」

自分の心の奥の方で、「衝動買い」という文字がちらつくものだから、とっさに変なこじつけをしていた。そんな自分がおかしくもあったが、結局、娘の卒業式は着物姿に決定。わが家の消費生活史上、初めてのびっくりするような出費と相成った。

「もう、お父さんたら本当に甘いんだからー」

妻は、店員さんに照れ隠しするかのように、あきれ顔をつくって見せた。そのくせ、

「今度の姪の結婚式に、私もこの帯、借りていいかしら。すごく似合うと思うの」

などと、いつの間にか自分も共有者になっているのだから、ちゃっかりしていてあきれる。

「うん、もちろん。みんなで積極的に活用した方がいいよ。シカゴに住むお姉ちゃんにも着させてあげようよ」

私も、これ幸いと調子にのる。よく、娘の卒業式に父親が“親バカ”よろしく高価な着物を喜んで買い与えたという話を耳にする。私はこれらの話を半ばあきれて聞き流していたものだった。ところが、まさか自分がそんな典型的なパターンにはまるとは。いや、自分はそんな“親バカ”とは違う、とまだ言い訳を探そうとあがく。だから余計に自分の考えが怪しくなってくる。

しかし、娘の卒業式は格別なのだ。なぜなら、私にとって、子育ての修了式のようなものだからだ。上の娘の折も、卒業式で子育ての区切りをつけさせてもらった気分になった。

ふり返ると、わが家は共働きということもあって、夫である私の子育て参加は欠くことができなかった。とくに上の娘の場合など、私の方が勤務先が近かったので、保育園の送迎は、ほとんどが私の仕事、役割だった。となると、朝の登園準備――実はこれが結構大変。まず、出かける前にはミルクを「ハダハダ」の温度にして、慎重に娘に飲ませなければならない。それから娘をだっこして、着替え、下着、おしめ、連絡帳に、体温の記録、替えのシーツや枕カバーなど一式の入った大きな袋を肩にかけたり両腕に抱えながら、娘を車のベビーシートに座らせる。ところが遅刻しそうな日に限って、娘はぐずったり便意をもよおすのだ。車を発進させようとすると、プ~ンとにおってくる。時計の針を見てあせる。でも、こればかりは叱るわけにはいかない。もう一度おしめの取り替えだ。この朝の30分は目が回る。とにかくすべてが慌しい。「手塩にかけて育てる」とか、「わが子は、目の中に入れても痛くない」という言葉がそのまま“実感”できる。あの時の感覚は今でも忘れられない。

幼児期から活発に子育てに参加した私への勲章だろうか、いまだに娘たちは、私を買い物につれて歩く。これは、育児パパへの“感謝状”なのだ。「センスがないねー。お父さんは」とか「これは今年の流行の色目なんだよ、そんなことも知らないの。評論家やっていけないよ」などとバカにする。でも、そんな気楽なやりとりが、私にはなんともうれしい。私の財布のひもはゆるみっぱなしである。

「やっぱり、お父様はお目が高いわ」などと言う店員さんたちのお世辞にも、素直に「ニヤニヤ」してしまうかつての“育児パパ”の私である。

(「Let’s!家事おやじ」『佼成』3月号、2008年3月)

新刊情報

160318-0737

尾木ママ

誕生日:
1947年1月3日
血液型:
A型
出身地:
滋賀県
現在の住まい:
東京
職業:
教育評論家、法政大学特任教授
臨床教育研究所「虹」所長
出演番組:
NHK教育(Eテレ)「ウワサの保護者会」
(土曜21:30~21:54放送 ※MC)

>>詳しくはこちら

 

ファンレターの宛先はこちら

〒104-8357
東京都中央区京橋3-5-7
株式会社主婦と生活社
『週刊女性』編集部 書籍班
 尾木ママ・ファンレター係

ご相談・カウンセリングについて

原則としてメールやお電話での相談対応・カウンセリング等は行っておりません。面談につきましても、現在は業務をお休みさせていただいております。ご了承ください。