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ゴミ出しの“教育力”

投稿日:2008年2月1日 カテゴリ:エッセイ

「おっ、きょうは木曜日だー」

朝食を済ませて居間の時計を見上げると、8時半。私はすぐさま、ゴミ出し作戦の開始。

まず台所から。流しの三角コーナーに残った生ゴミの水を切って、ビニール袋に入れ、口を固くしばる。

次に三角コーナーをタワシで洗う。夏場は2,3日もたつと、すぐに黄色いぬめりが生じて臭うから厄介だ。だから、あまりためないで小まめに部屋の中のおしゃれなポリ容器に移しておく。同時に、きれいな状態であっても、三角コーナーにはその都度、軽くタワシがけをする。この2つがゴミ出しの“極意”だ。汚してからでは遅い。原状回復に大きなエネルギーを要するからだ。汚れていなければ、洗うのに1分も要しない。そして、水きり袋をかけて流しにセットする。これで台所は完了。

あとは各部屋のゴミの収集だ。ポイントはゴミの分別。ほとんどは、プラスチックと紙の2種類に分別できる。汚れたりして、生ゴミとして出すべきものは本当に少ない。一家4人、3日間で20リットルの袋で十分。あとは、火曜日のプラスチック類、金曜日の雑紙類の日に出せばスッキリ。

緑色の有料ゴミ袋の口をギュッときつくしばり上げる。するとホッと一息。快感とともに充実感がわくから不思議だ。わが家の駐車場にある大きなポリ容器に入れ、収集車のおじさんが取り出しやすいように置く。

「ヨシ、できたぞー」

いつも私は一人つぶやく。エコ参加の実感もわく。

腕時計を見ると、すでに8時45分。9時から研究所のミーティングだ。それまでに、朝食の後片づけと茶わん洗い。これがまた大変。いや、洗う作業がではない。いかに洗うのかが問題なのだ。液体洗剤をしみこませたスポンジで、「ササッ」と食器類を洗いシャワーで流せば、キュッキュッと音がして光る。《これでよし、完璧だ》と自信を持って水きりカゴに入れる。しかし、それからがまた大変―。

「お父さん、またササッとやっただけでしょ?」

娘のチェックが入るからだ。

「そんなことないよ。お父さん、せっけんつけて、ちゃんと洗ったよー」

もちろん私は反論。ところが…。

「ホラ、見て、まだ汚れてる」

茶わんを目の位置まで掲げ、部屋の明かりにかざして汚れを見せるのだ。

「へんだねー。ちゃんとやったんだけどねー」

と力なくつぶやく私。証拠を突きつけられては、どうしようもない。

こんなセリフのやりとりを、これまでわが家は何回繰り返してきたことか。なぜなら、いつまでたっても私が本気になって改善しないからだ。

というのも、《少しくらい汚れていたって、大丈夫。自分が子どもだったころ、農家ではまともに洗っている家なんてなかったのだから―》などと、心のなかはいたってのんき。今日の食品表示偽装や賞味期限改ざんより、ずっとかわいい。悪意も、何の利益もないのだから。

「あーっ、ごめんごめん、ほんとにお父さん下手クソだね。何回言われても直んないねェ。もう年かな」などと言葉をにごす。

クレームは「家事おやじ」の悲哀? ところが、私はうれしいのだ。文句であっても、家族の期待に張り合いを覚えているのかもしれない。

やっぱりおやじの家事は、家族の絆を強める。

(「Let’s!家事おやじ」『佼成』2月号、2008年2月)

私の朝

投稿日:2008年1月1日 カテゴリ:エッセイ

トントントン、トン。私は2階から階段を下りて、居間の外のウッドデッキで鳴く愛犬の元へと急ぐ。「クゥー、クゥー、クゥ」。まるで猫のような甘え声で私を呼んでいる。なぜだかわからないのだが、いつも朝の6時と決まっているのだ。

「ダメでしょ。まだ6時ですよ。ご近所迷惑です。シー」

人差し指を口に当ててこう注意すると、彼は前脚をきちんと揃えて「正座」。そして、いかにも「悪うございました、反省します」といわんばかりに、ちょこんと首をかしげて私を見上げる。

「彼」はもう14歳。体重13キロ超のイングリッシュセッターである。

ある時妻の友人が、5匹も産まれたという仔犬の中から、一番「人柄」のよさそうな1匹を選んでわが家に連れてきたのだ。当時小2の下の娘のお友達役にちょうどいいとか何とか説得されて、結局飼うハメになったのだ。こうして今では、わが家の主として君臨している。

私の朝は、こんな家事ならぬ「犬事」(?)からスタートする。

ところが、雨が降る日は、彼も寂しいムードに弱いのか、それともまだ熟睡しているのか。理由は定かではないが、鳴かないので助かる。

鬼ならぬ〝犬の鳴かぬ間の洗濯〟とばかりに、一仕事。洗面所に戻った私は、洗濯機の給水ポンプを前夜のフロの残り湯の中へと延ばし、回転槽に洗濯物をほうり込む。ほうり込むとはいっても、実はこの作業に一番気を遣う。自分のものと、多少のことでは型くずれしない家族の丈夫なものだけを洗濯かごの中から素早く選別しながらネットに入れる。この時に、うっかり間違えて妻が大切にしているTシャツなどを一緒に紛れこませでもしたら大変。厳しいクレームが待っているからだ。また、ファスナーが少しでも開いていると、洗濯物が洗濯機の中に飛び出す。わが家の洗濯機はよほど元気がいいのだろうか。フタを閉じてボタン類をセットすると、石鹸量が表示される。たいがい専用スプーン「0・7」杯である。わが家は合成洗剤は一切使わない。水質汚染防止のためにも粉石鹸しか使用しないのだ。私が大学生の頃、母が琵琶湖の環境保全運動を進めていて、粉石鹸の良さをよく教えてくれたことを思い出す。

42分。でき上がりまでの時間が表示される。「ヨシ、洗顔のあと、1本原稿書き上げてから干せるぞ―」。決意を込めて、私はスタートボタンをグイッと押す。しばらくすると、モーター始動の低いうなり声。「さあー」とばかりに、私の歯ブラシも動く。

最近ふと気付くと、わが家のほとんどが天然素材に切り替わっている。歯みがき粉も洗顔クリームやアフターローション類もそうだ。家族が「研究」しているようだ。「お父さん、もう年なんだからハダもしっかり手入れしないと―」。とにかく娘たちがうるさい。

流れ作業のように朝の家事をこなしながらも、毎日使うものに母や家族の〝思い〟が詰まっていることを実感させられる。

愛犬以外は、まだ静かに眠りについているわが家。家全体の空気が動き始める前の、ほんのわずかなこんな時間こそが、私の貴重な〝朝〟なのだ。

さて、某紙のメール相談の回答を仕上げることにするか―。遠くかすかに洗濯機の振動を感じながら、私はペンを執った。

(「Let’s!家事おやじ」『佼成』1月号、2008年1月)

わたしとおかあさん

投稿日:2007年10月1日 カテゴリ:エッセイ

母は大正7年、現在の米原市の生まれです。小学校の教員をしていましたが、気象台勤務の父と結婚して、伊吹山のふもとの農村に入りました。すごく頭のいい人で、家で先生が身近にいる感じ。僕は大きな影響を受けていると思います。
小学5,6年生のころでしょうか。夏休みの日記で毎日、詩を書くといいよと勧められました。書き始めてみると、「ここは体言で止めると響きが出る」とか「ひっくり返すともっと伝わる」とか、的確なアドバイスで乗せられ、分厚いノートができました。
逆に「宿題をするのは明日にしよう」なんて言うと、さらりと「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」(明日があると思っていても、桜の花と同様、分からないもの)なんて短歌を引用して諭される。家の外でもそうでしたが、子供との関係でも交渉術がうまい人でした。
中学や高校のころも、宿題をのぞきに来て、数学の教科書をちらっと見てすぐに解いてしまう。白状すると、大学の哲学のレポートを母親にやってもらって、最上位の評価を受けてしまったこともあります。とにかく勉強が好きな人だったんですね。若いころ父親を亡くして思うような進学ができず、勉強をやり残したという思いを持っていたようです。
職に就くとき、ジャーナリストにとも考えていたら、母に「あんたは教師が向いてるよ」と言われました。実際になってみて、なるほどな、と思いました。できない子、悪さをする子が、やる気が出てきて伸びるのを見るのが好きなところなど、自分は母に似ているなあと思います。
でも、今、サインで「ありのままに今を輝く」と書いているのは、母親への反発という意味合いもあるんです。僕には、しつけられ、親にとっていい子で育ったという思いがあります。高校くらいでそれが嫌になって、自分なりに脱却するのが、きつかった。
一つ、びっくりしたのは、家の中から戦時中の新聞のスクラップが出てきたこと。日本軍が勝った勝ったという記事ばかり。平和の大事さを教える反面教師の素材かと思いきや、「子供が生まれたら、日本はこんなに活躍したんだと教えようと思って」と。「えーっ。あんなに賢い母が」と驚きました。戦争に突入していく時はさりげないものなんだなと感じています。
母は今、香川の姉の家で健在です。もの忘れも増えてきましたが、会うと「ちゃんとハンカチは持ったかい」なんていわれたり。やっぱり今でも僕は子供なんですね。

(毎日新聞 2007年10月27付)

“愛”は身体で表現

投稿日:2007年8月1日 カテゴリ:エッセイ

「あー、危ない!」
期せずして、発せられた数人の声。
私も、右手を差し出しながら、思わず一歩前へ踏み出していた。

つい最近の東京駅ホームでのことである。
まだ2歳になるかならない、よちよち歩きの、かわいいパーマ姿の女の子が、ホームべりにある黄色の誘導ブロック上にノコノコと出てきたからだ。

「お母さんは?」次の瞬間には、誰しもそう思ったに違いない。ところが「すぐに手を延ばしても届かないような、すぐ後ろ」に、何事もなかったかのような涼しい顔つきで、母親がつっ立っているではないか。

声を上げた大人だけではなく周囲の人たちも当然、母親がびっくりして
「○○ちゃん! 危ないでしょ! ちゃんとお母さんの手を握ってなきゃ」
と、叫びながらかけ寄って、わが子を抱き上げる。そして厳しく叱咤するものとばかり信じていた。

ところが、二度びっくりである。

母親は、何のアクションも起こさなければ、声一つ発しなかったのだ。子どもはといえば、相変わらず黄色の誘導ブロックの上にゆらゆら、つっ立ったままである。

「列車が入ってきたら、あおられて危ないのに―」。
初老の夫婦が、ハラハラしながら眉をしかめて不満顔。まだ、いつでも飛び出せる身構えを崩していない。実家にでも帰っていたのだろうか、母親の左手には布製の大きな手さげ袋。

入線のアナウンスが流れると、ようやく母親は空いている右手で、わが子の上着をつかんで自分のそばに引き戻した。

周囲の大人たちは、それを見て、やっと自分の世界に戻った。ホッと安堵の空気が流れた。とたんに、赤い電車がホームにすべり込んできた。

この間、わずか1分足らず。しかし私には、10分、20分もの緊張を強いられたような“疲れ”。何よりも激しい“憤り”を感じていた。
なぜ子どもの手をしっかりつなぎ、危険から身を守る母の姿と愛を伝えないのか。パーマをかけて、人形扱いのネコかわいがりをしている場合ではあるまい。

電車が動き始めると、急に私は悲しくなった。

(ないおん8月号)

心に残る食べもの

投稿日:2007年7月1日 カテゴリ:エッセイ

「記憶に残る一品」なら、少し目をつむると、次々に浮かんでくる。北海道から沖縄まで、全国各地を講演活動で歩き回っている私にとって、「味の一品」なら数え切れない。

ところが、“心に残る一品”となると、文句なく「素うどん」。これ以外にない。

素うどんとは、紛れも無く、あの何の具も入っていないうどんのこと。アメ色がかった透き通る関西風のツユに、ゴツゴツとした太い手打ちの麺。緑色の長ネギに薄切りの紅いかまぼこが2切れ。色も鮮やかに白い麺の上に添えられていた。

「直樹、お誕生日に何が食べたい? 何でも好きなもの言ってごらん。お母さん腕によりをかけるからね」

小学校低学年の頃。誕生日を翌日に控えた朝、母が私にこう尋ねた。

私は即座に「おうどんがいい」と答えていた。

「えっー、そんなのでいいの」

母は私をのぞき込むように、真顔で聞き返したそうだ。

ミルクなどの物資不足もはなはだしい終戦直後、私は未熟児で生まれた。おまけに母乳がほとんど出なかった母は、大根などのおろし汁に工夫して甘みをつけたものを、涙を流しながら私に飲ませていたという。

だから、お誕生日くらい、栄養のあるごちそうを思いっきり食べさせてやりたいと願っていたようだ。母には、誕生日の食事には特別の思い入れがあったに違いない。それなのに、意外にもわが子は“素うどん”をリクエストしたのだから、母もびっくりしたことだろう。それなら、と余計に心をこめて麺を打ち、煮干をたっぷり入れたツユを仕込んだに違いない。

私はあまり上手とはいえないハシ使いながらも、そのうどんを一生懸命つまんでツルツルと飲み込んだ。あの、のど越しのゴツゴツとした感触。あれこそきっと、「大きくなれ、丈夫になれ」と願った母の祈りそのものだったのかもしれない。

いつまでも「心に残る」、私だけの一品である。

(『食べもの通信』2007年7月号より)

私の健康法

投稿日:2005年8月1日 カテゴリ:エッセイ

「ホラ!行くよ。飛びつかないで、静かに」

朝の七時、私の一日の始まり。

愛犬、ショウと散歩に出発だ。

一日二回、朝は二〇分、夜はわずか一五分のおつき合い。多忙なスケジュールの中では、これでもなかなか大変だ。すでに十一年、今ではリズミカルな日課となっている。コースも四つに定着。

Aコースは、わが家を右に迂回する。わずかに一〇分という最短コースだ。雨や雪、あるいは、講演に出かける慌しい朝のバージョンだ。一周して、玄関に入ろうとすると、前足を踏ん張って、「もう、終わり?」と恨めしげに私を見上げる。

「いいの、ショウちゃん。今日は雨でしょう。風邪ひいたらどうするの。ガマン、ガマン」

こう声をかけると、「あっ、そうなの」と納得顔で自分の小屋へと歩を進める。もう、何年もこの同じ仕草、同じ声かけ、同じ反応を繰り返している。

犬って本当に不思議と感心させられる。同じことをこうして繰り返しても、「手を抜くこと」も「気を抜くこと」もしない。「心をこめて」反応してくれる。少しも年をとらないで、私を癒してくれる。

Dコースは最長である。家から真直ぐ井の頭公園に向かう。中央線のガードをくぐり、後から追い抜いてくるハイスピードの車に、神経を集中させながら、一方通行の公園裏を引き綱を握る。でも、ショウはこの危険なコースが大好きだ。「危ないよ。こっち、こっち」などと、真剣な表情で発する私の緊張感に満ちた声が気に入ったのか、「ハイヨ!」とばかりに、すり寄ってくる。

「うむ、これでよいのだ」

私も変に納得。小さくなる車の後ろ姿を見やりながら、変に満足感が広がる。

これでは、ほとんど犬並みの精神構造ではないか。何年も同じ動作を繰り返しているうちに、両者の「心」が一体化してきたようだ。犬が私に近づいたのか、私が犬に歩み寄ったのか?まあ、そんなことはどちらでもよい。きっと両者の歩み寄りなのだろう。「犬は飼い主に似る」と、昔から言うではないか。

一五分も歩くと、いよいよ公園入口。ここに入るやもう犬の天下。春は、桜の咲き乱れる中、夏は早朝の蝉しぐれ、秋は落ち葉、冬は深い霜柱を踏んで、右に左に走り回る。「やはり、自然はいいね」。こんな目つきで私に同意を求める。

「いやあー、確かにここはいいー」

私も思わず声に出してうなづく。

でも、ショウちゃん。飼い主の私の一番のお気に入りは、実はCコース。三〇分と、少し長めだが、井の頭通りを駅まで往復する単調なコース。何の変哲もない。お前はきっと不思議に思うに違いない。しかし、実はこのコース。二回に一回は、チワワ連れの中年の女性と行き交う。

とても上品で、夏の帽子姿は誰かの有名な絵画から抜け出てきたかのよう。遠くにその端正な姿を発見するや、私の心臓はドキドキ。道路の反対側からそっと会釈される。

愛犬とのこんな毎日の散歩。私にとっては、心と体の健康維持の原動力になっている。

(季刊『健康』2005年夏号より)

“笑い”の健康家族

投稿日:2002年8月1日 カテゴリ:エッセイ

「あれ? 確か、ここにかけておいたはずなんだけど……」

テレビを見ていたら少し冷え込んできたので、カーディガンでもはおろうと部屋を見回してみるもののどこにも見当たらない。変だな、先程ここにかけたはずなのに……私もいよいよ年かな、「ボケ」の始まりかな、と少し自己嫌悪に陥っていると、長女の大発見したような甲高い声。

「あっ、お母さんが着てるヨ。お父さん」

見ると、私のお気に入りの白いカーディガンを妻がちゃっかりはおっているではないか。

「それ、ボクが大切にしている物なんだヨ。台所仕事に着るなんてあんまりだよ。しょうゆでもこぼしたらどうするの」

ムッとする私。しかし、妻はあわてるそぶりもわびる気配もさらさらない。

「あっ、ホント、あなたのだったの。だってちょうどいいところに置いてあったわよ」

脱ごうともしないで、そのまま台所で油炒めにとりかかろうとしているではないか。慌てて私は妻の赤いカーディガンを取りに二階の彼女の部屋へ駆け上がった。そして、台所仕事の邪魔をしないようにそっと後ろから着替えさえた。

やれやれ、これで一安心。

「でもね、お父さんなんかいい方だよ。私なんか下着から靴下まで何でもお母さんのものにされちゃうんだから――」

娘はここぞとばかりに半ば笑いながら訴える。

しかし、妻はというと「ホントウ? だって、どこが違うかよく分からない。
名前書いてないし、どれも同じなんですもの」。

なるほど、名前が書いてないか。ほんとに、その通りだな。正直に言うもんだ。

先日もひょいと妻の方を見やると、どうしたことかいつもより首が短く見えるではないか。

「どうしたの?」

「うん、前後逆に着たみたい」と涼しげ。直そうともしない。

近づいてよく見ると、裏返しで前後ろも逆。タグがあごの下にくっきり見えているではないか。生地といい柄といい、材質といい、サカサ裏返し着用もオツなもの。

「今年の流行になるかもね」と三人で大笑い。

テレビのチャンネル争いでは、「泣く子と地頭」ならぬ「妻には勝てぬ」我が家。妻はサッカーと将棋が大好きで、将棋など、わざわざテレビ画面の二メートル近くに正座して凝視。「私は観るんだから」とテコでも動かぬ。一端占拠されたが最後、クッキーとコーヒーを片手に二時間はテレビの前から離れない。どんなに周囲が忙しくても、妻の周辺には常に悠久たる時間が流れているようだ。

女優の中村玉緒にそっくり。

おかげで我が家も常に笑いが絶えない。理屈ぬきで楽しいのだ。

ところで、私の仕事はフリーの評論家。サラリーマンの人々からは「自由でいいね」とよく羨ましがられるのだが、ヒマになる恐怖におびえながらいつも”フリーに忙しい”に過ぎない。休日だから、夜だからと仕事を断れないのだ。だから健康に気を遣っている余裕などないのが現実。そんな私の唯一の健康の秘訣は、いつも笑わせてくれる妻の天然ボケが生む素朴さと開放感。腹を抱えて笑うたびにストレス発散。心身ともにエンパワーメントされる。”笑い”は私の最高の健康法なのだ。

(『月刊 健康』 2002年8月号より)

子どもと大人のパートナーシップ

投稿日:2001年12月1日 カテゴリ:エッセイ

▼ 子どもの声に耳を傾けて

「子どもは、子ども問題のスペシャリストですよ」
四年前に北欧を視察した際、スウェーデンの子ども問題の専門家の言葉を聞いた時、私の全身に喜びの衝撃が走った。スウェーデンでは、直接子どもにかかわる法律の修正や上程には、必ず子どもたち自身の意見を聞くことになっているという。どんなに善意であっても大人の独断専行は許されない。
いじめ問題に対する子どもたち自身の取り組みが小学校でも重視されていた。
学校改築や学校生活、それに授業内容、地域の児童館や公園建設等わが国でも計画段階から子どもの意見や提案を取りいれる企画が少しずつだが目につくようになってきた。

子どもを主役にすえれば、彼らのプライドを引き出し、意欲的に困難にも挑戦する。さらに自己責任感情も形成される。しかも、自分たちをパートナーとして尊重する大人に対して信頼感が芽生える。このような子どもと大人の関係性が構成されて初めて、私たちは社会的モラルを次の若い世代に引きつぐことができる。
これこそ大人と子どもの関係性が健全に機能する社会と呼べるのではないか。
このような子どもと大人のパートナーシップの大胆な導入こそ、今日求められる「教育改革」のテーマではないだろうか。

▼ 徹底したスクール・デモクラシーを

学校にこれらの精神を生かすとすれば、どのようなイメージになるのだろうか。
それは、学校生活にも授業にも行事にも児童・生徒参画を思い切って広げることである。彼ら自身に自己決定させ、結果責任を取らせることだ。
二十一世紀に入ったというのに、学校にはいまだに生活の細部に至るまで「校則」で縛る傾向が根強く残っていないか。
夏休みや冬休みなどの休業中でも、外出時の服装を学校の制服と定めていたり、宿泊に際してはあらかじめ学校へ届けを出させたりするという。高校生のアルバイトの許認可権さえ学校が握っている。
本来なら、当然これらは親権にかかわる事項である。学校がいっさい口を出すべきことがらではない。法律論はさておくとして、このような過保護ぶりでどうして子どもの自己管理と自己責任能力が育成できるのだろうか。親の教育力も発揮しようがないではないか。
年間カリキュラムの編成段階から、授業にも子どもの声を生かす工夫がほしい。例えば年度末の学校評価には、保護者や児童・生徒にも参加してもらう。学校全体の評価に子どもも参画することによって、授業や学校づくりの全体像が見え、責任感も芽生える。学校づくりの主役としてのプライドが育つ。自分たちの声に耳を傾ける教師への信頼感も育つ。こうして育ったプライドと教師への尊敬心は、目の前に立ちはだかる困難に対して、教師とともに力を合わせて挑戦しようとする意欲をかきたてずにはおくまい。
「子ども参画」はわがままを増長させるだけ。厳しく管理・統制・指導してこそ子どもは育つと主張する声も根強い。
しかし、案ずるよりも生むが易し。小さな領域からでもよい。スクール・デモクラシーを理念とした学校づくりへ第一歩を踏み出してみよう。実践こそが、子どものすばらしさを教え、勇気を与えてくれるはずである。

(教育評論 2001年12月号より)

明日に向かって生きる美しさ

投稿日:2001年8月1日 カテゴリ:エッセイ

朝、洗顔や洗濯、犬の散歩などをあわただしく終えると、一階に下りて、私はおもむろにテレビのリモコンを手にする。

「うん、さて今朝はどうかな?」
ニヤニヤしながら独り言。そして、それっ! とばかりに心に気合いを入れてスイッチONにする。
ほんの一秒後におなじみの人工芝が美しい画面が映る。これを確認すると、私はしごくご満悦。
画面の上隅の「SEA」(シアトル・マリナーズ)の得点に目をやる。
ここがたいてい「2」ないし「3」点となっていることが多い。もちろん対戦相手のチームは「0」。
とたんに私は、ヨーシ!!と言いながら、しばし、パーソナルチェアに体を沈める。

短時間でもいいので、アメリカのメジャーリーグの野球中継を見ようというわけである。
残念なことに朝の八時(日本時間)からのプレーボールが多いために、九時からの仕事に備えてすぐにスイッチを切らざるを得ない。これが何よりのストレス。

だから、五時始まりの時は、これ幸いと早起き。六時前にはテレビの前に座っている。

ただでさえ多忙で十分な睡眠時間が確保できないのが悩みというのに、これはどうしたことか。

※   ※   ※

先日、羽田で乗車したタクシーの運転手さんがしきりにボヤいた。
「私らは、朝の六時には仕事を上がって、すぐに眠らなくっちゃいけないのに、このごろはイチローのせいで眠くていけませんや。もう、シアトル・マリナーズの選手の名前も全員覚えちまいましたョ」

言葉ではメジャーリーグを非難しているのに、その声は逆に明るく弾んでいた。

「ホントですねー」

私はおかしさをかみ殺しながら、後部シートから相づちを打っていた。

ほんとうにベースボールがこれほど面白いとは思いもしなかった。

「イチローは、オリックスにいる時からあんなにすごい選手 だったんですかね」

ハンドルを握りながら、運転手さんが尋ねてきた。

「もちろん、日本にいたときからすごかったんだと思いますヨ。でもね、日本の野球はプロレスやサーカスなんかと同じで一種の”見世物”みたいなものなんですよ。”乱闘も野球のうち”などという監督もいるくらいですからね。今、私たちがアメリカンリーグに魅せられているのは、純粋なスポーツとしてのベースボールに接している興奮だと思いますよ」

「イチローは、限界に挑んでいるんです。一六〇キロの速球にも絶妙のバットコントロールで反応する。同時に、トップスピードで一塁に走る。塁に出ると今度は、必ず次の二塁を狙う。二塁を落とし入れるや今度は三塁へと連続盗塁さえ試みる。まるで草原を自在にかける俊敏なヒョウのよう。一つ一つの動作の瞬間が美しいですね。美の連続ですよ」

私もつい調子に乗って口がどんどんとなめらかになる。

「ホントだね、お客さん。私らはね、あのイチローの守備もたまんないすよ。こないだなんかホームランをジャンプして捕っちまうんだから。ライトの深い位置からでも本塁で走者を刺す。すごいよね」

「いやーあれはすごかった。向こうでは光線のようだというのでビームボールって名付けられてるそうですよ」

私たちは、時間を忘れて車中で大いに意気投合したものだ。

※   ※   ※

今、アメリカの大リーガーとして活躍する日本の選手たちは、一瞬一瞬の「打つ」、「走る」、「守る」の動作一つ一つに全神経と全肉体、自己存在すらをかけて挑んでいる。その緊張と興奮を求めて海を渡ったのだ。新庄だってそうだ。阪神が提示した好条件の年俸をキャンセルしてまで、あえて厳しい道を選んだのだ。

そこには、地位や名声そしてお金などには決して替えられないこんなにも魅力的な世界が広がっていたからだ。

限界に向かって無心に挑戦する喜びである。テレビの前の私たちまで、一体になって感動している。
パワーまでもらっている。

どんな人でも、明日に向かって全力で生きようとした時、そこから必ず大きな飛躍が生まれる。
そしてその姿の何と美しいことか。きっと、みなさんも同じである。自分を信じて前進し続けてほしい。

((財)矯正協会 人・わこうど 2001年8月号より)

娘の卒業式

投稿日:2001年3月1日 カテゴリ:エッセイ

まあ、何とあでやかなこと。七割方は袴姿だろうか。華やかな衣装とは反対に、緊張感と気恥ずかしさに全身を包みこんだ卒業生が三つの列をなして静かに式場に入場してきた。
「うちの娘はどこかな?」
三つの列のそれぞれの流れにあわただしく目線を動かして探す私。ところが、どの列にも発見できない。普段の姿とはかけ離れて、四年間―いや生まれてこのかた一番美しい(?)化粧を施したせいか、どうも見つからないのだ。「これはまずい。自分の娘の晴れ姿を発見できぬとは」。私は内心かなり焦っていた。
合唱団のきれいな合唱にうっとりしていると、、讃美歌の斉唱へとプログラムは進んでいく。流石に大学。素敵な声量だ。
ようやく式の雰囲気に慣れてきた私は、勇気を奮って、式場をぐるっと見渡してみた。そして、びっくり。何と父親の参列者の多いことか。少なくとも17~18パーセントは列席している。みんな同じ位の年格好。これでは、まるでおじさんの同窓会。自分もそのうちの一人かと思うと、苦笑しながらもこれらの「おじさん」に変に親しみを覚える。
小・中・高の保護者会などでは、父親がいてもほとんど1学級に1人位。ところが、「女子大」の卒業式のせいか?、こんなにも多いのだ。私には、全くの予想外の光景だった。

弁解するわけではないが実のところ、私には前夜まで、長女の大学の卒業式に参加する予定などまったくなかったのだ。
それが、下の中学生の娘の保護者会と日時がちょうどぶつかってしまい、末娘の「お父さんはイヤ。お母さんに来てほしい」の一言で自動的に決したのである。
妻は、というと、本当は長女の卒業式に出たかったのだ。というのは、そのためにせっかく奮発してスーツを買いこんでいたからだ。せっかくのおしゃれのチャンスを逃すわけにはいかない。「あたしが、お姉ちゃんの方に行きたい」という妻と、「お母さんの方がいい」という末娘と、「どっちでもいい」という長女。これら三者三様の女性たちの全要求を、かろうじて満たす唯一の方法というのが、私が長女の卒業式に参加し、妻は末娘の中学の保護者会の方に――と相成ったわけだ。
我が家はいつもこうだ。わがままな三人の女性たちに男性一人の私が立ち向かっても、所詮勝ち目はない。だから、私は、昔からあまり考えないことにしている。自らの意見もあまり主張しない。低き方に水が流れる如く、安易に状況に従うだけだ。

ところが、今回だけは、式半ばで、来て良かった、と心底から思えた。学長や学部長の長い祝辞を耳に聞き流しながら、わが娘―この時には、呼名を受けて起立したので、その袴の色柄と赤くて可愛いリボンの後姿をしっかり目に焼きつけていた―の後姿を見つめながら、今日に至るまでの子育ての苦悩の日々が、月並な表現だが文字通り走馬灯のごとく頭を駆け巡ったからである。

「お父さん大学辞めたい。やっぱり自分に合ってない」。せっかく合格した大学に慣れ始めた六月も半ば、夕食後、いきなりこう切り出した娘。
やめるにしても、いかにも早すぎやしないか、もう少しじっくりと考えてみては―などと長期戦に持ちこもうとする私を無視。さっさと中退手続きをとってしまった。こうして夏から、新しい進路を求めていわゆる「宅浪」と相なった。
「近くがいい。異文化コミュニケーションに興味がある」ということで、自転車で10数分で通える女子大に決めたのだった。
それにしても、”異文化コミュニケーション”とは言いながらも、よくぞ大学四年間あちこち海外旅行にでかけたものだ。そして、気がつくと、いつも家ではグッスリとよく眠っていたものだ。
大病もせず、ひどい非行にも走らず、よくぞ元気に卒業し、社会人になったもんだ。「良かった」と、しみじみとそう思った。参列席のあちこちで、涙をぬぐったり、すすりあげるお母さん。その心が、私にも伝わってきて、目がうるんでくるのだった。

やはり、卒業式は人生の大きな節目。区切りだ。子にとってはもちろん、親にとっても。
ふり返ると、高校の入学式は母親が同伴。ところが、遅刻のため新入生の呼名時間には間に合わず、列の最後に並んで、やっと最後に名前を呼んでもらったのだ。
でも今回はお父さんで正解!
だって、10時の式開始3分も前に講堂に入っていたのだ。そして娘の入場に立派に!!間に合ったのだから。

父親は教育評論家で母親は教師。これでは、外見には、まるで教育一家を絵にかいたようなもの。しかし、こんなにズボラでチグハグな両親だったからこそ、子どもたちはまともに成長できたし、卒業もできたのかもしれないのだ。

「どうして職種を決めたの?」
就職先も全部自分で探して決していく娘にこう問う私。「だって、うちは、あまりにも子どものこと放ったらかしなので、自分で何でも調べるクセがついてしまったからリサーチ会社が好きになった」とか。「それも、そうかも」と頷ける答えが返ってきた。
反面教師もまたすぐれた教師なんだなあと思う。
子育ても、これで半分卒業。一抹の寂しさもないわけではない。しかし、21世紀の初頭に、”異文化コミュニケーション”を大切に多くの国の人々との共生を大切にしながら、同時に足元のローカル共同体をいかに新世紀にふさわしく創るのか、その力強い仲間に娘が加わってくれたと考えると新たな嬉しさがこみ上げてくる。

(2001年3月 書き下ろし)

新刊情報

160318-0737

尾木ママ

誕生日:
1947年1月3日
血液型:
A型
出身地:
滋賀県
現在の住まい:
東京
職業:
教育評論家、元法政大学教授
臨床教育研究所「虹」所長
出演番組:
NHK教育(Eテレ)「ウワサの保護者会」
(土曜21:30~21:54放送 ※MC)

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