私の健康法
投稿日:2005年8月1日 カテゴリ:エッセイ
「ホラ!行くよ。飛びつかないで、静かに」
朝の七時、私の一日の始まり。
愛犬、ショウと散歩に出発だ。
一日二回、朝は二〇分、夜はわずか一五分のおつき合い。多忙なスケジュールの中では、これでもなかなか大変だ。すでに十一年、今ではリズミカルな日課となっている。コースも四つに定着。
Aコースは、わが家を右に迂回する。わずかに一〇分という最短コースだ。雨や雪、あるいは、講演に出かける慌しい朝のバージョンだ。一周して、玄関に入ろうとすると、前足を踏ん張って、「もう、終わり?」と恨めしげに私を見上げる。
「いいの、ショウちゃん。今日は雨でしょう。風邪ひいたらどうするの。ガマン、ガマン」
こう声をかけると、「あっ、そうなの」と納得顔で自分の小屋へと歩を進める。もう、何年もこの同じ仕草、同じ声かけ、同じ反応を繰り返している。
犬って本当に不思議と感心させられる。同じことをこうして繰り返しても、「手を抜くこと」も「気を抜くこと」もしない。「心をこめて」反応してくれる。少しも年をとらないで、私を癒してくれる。
Dコースは最長である。家から真直ぐ井の頭公園に向かう。中央線のガードをくぐり、後から追い抜いてくるハイスピードの車に、神経を集中させながら、一方通行の公園裏を引き綱を握る。でも、ショウはこの危険なコースが大好きだ。「危ないよ。こっち、こっち」などと、真剣な表情で発する私の緊張感に満ちた声が気に入ったのか、「ハイヨ!」とばかりに、すり寄ってくる。
「うむ、これでよいのだ」
私も変に納得。小さくなる車の後ろ姿を見やりながら、変に満足感が広がる。
これでは、ほとんど犬並みの精神構造ではないか。何年も同じ動作を繰り返しているうちに、両者の「心」が一体化してきたようだ。犬が私に近づいたのか、私が犬に歩み寄ったのか?まあ、そんなことはどちらでもよい。きっと両者の歩み寄りなのだろう。「犬は飼い主に似る」と、昔から言うではないか。
一五分も歩くと、いよいよ公園入口。ここに入るやもう犬の天下。春は、桜の咲き乱れる中、夏は早朝の蝉しぐれ、秋は落ち葉、冬は深い霜柱を踏んで、右に左に走り回る。「やはり、自然はいいね」。こんな目つきで私に同意を求める。
「いやあー、確かにここはいいー」
私も思わず声に出してうなづく。
でも、ショウちゃん。飼い主の私の一番のお気に入りは、実はCコース。三〇分と、少し長めだが、井の頭通りを駅まで往復する単調なコース。何の変哲もない。お前はきっと不思議に思うに違いない。しかし、実はこのコース。二回に一回は、チワワ連れの中年の女性と行き交う。
とても上品で、夏の帽子姿は誰かの有名な絵画から抜け出てきたかのよう。遠くにその端正な姿を発見するや、私の心臓はドキドキ。道路の反対側からそっと会釈される。
愛犬とのこんな毎日の散歩。私にとっては、心と体の健康維持の原動力になっている。
(季刊『健康』2005年夏号より)