2009/1/16 Fri.
投稿日:2009年1月16日 カテゴリ:虹の小噺
今日もなんと寒い日でしょうか。
明日1月17日(土)は、8:00〜読売テレビ「ウェークアップ!ぷらす」に、23:00〜テレビ朝日「Sma STATION」に出演予定です。どうぞご覧ください。よい週末を。
投稿日:2009年1月16日 カテゴリ:虹の小噺
今日もなんと寒い日でしょうか。
明日1月17日(土)は、8:00〜読売テレビ「ウェークアップ!ぷらす」に、23:00〜テレビ朝日「Sma STATION」に出演予定です。どうぞご覧ください。よい週末を。
投稿日:2009年1月15日 カテゴリ:コメント
「大学は○○大学クラスに何とか」「就職なら△△会社よ」―。子どもに先回りしてアレコレと進路を指示する親が目につく。車の道案内をするカーナビゲーションシステムに似ていることから「カーナビ親」と名付けてみた。将来を心配しての親心かもしれないが、一歩間違うと、子どもから失敗体験を奪い、自立を阻害する恐れもある。
「いつまでたっても親が先回りする例は大学でも日常茶飯事です」。法政大学教授で教育評論家の尾木直樹さんは苦笑する。電車が遅れると、大学事務所に遅刻の電話をしてくるのは本人ではなく母親。「熱があるので休む」と欠席連絡も母親。電話の背後で「休むのは△△先生の授業」と念を押す学生の声が聞こえてくるといった具合だ。
指示を出したり、事細かに面倒を見たりするカーナビ親は日本だけの現象でないらしい。尾木教授が驚いたのはフィンランドを訪れた際に知った「カーリングペアレント」という言葉。ストーンを目標へ滑らせるため、表面をブラシで掃くカーリング競技の姿になぞらえ、子どもの先々に手を打つ過保護の親を皮肉った言葉だ。
「ただし日本の特徴は、過保護な親として単純にくくれない現象が広がっていることだ。判断力があり幅広い知識がある親ほど、子どもの将来を心配し面倒を見る流れが強まっている」と尾木教授は指摘する。
正規社員が減り、派遣やパートなど非正規雇用が増えるなか、親は子どもがこの社会で生きていけるか不安を抱いている。社会の実情を知る親ほど、何とか子どもをリスクが少ない方へと誘導したくなる。社会の安全網もあまり機能しない現実から「親が子どもを守らないで、だれが守るか」という意識が拡大していると尾木教授は分析する。
投稿日:2009年1月15日 カテゴリ:虹の小噺
今日は風があるせいか、空気が一段と冷たく感じられます。
本日尾木は「虹」にて来客・取材対応に追われております。
1月9日付の日本経済新聞(夕刊)に尾木のコメントが掲載されました。書き物箱中の「コメント」コーナーからご覧になれます。
投稿日:2009年1月14日 カテゴリ:虹の小噺
芸がないようですが、寒い日々が続きます。
本日尾木は大学の最終講義です。
投稿日:2009年1月13日 カテゴリ:虹の小噺
今日もまた寒い1日でした。日本海側はますます大雪のようで。
本日尾木は、取材対応や原稿執筆に追われております。
投稿日:2009年1月9日 カテゴリ:虹の小噺
東北から北海道の太平洋側と、西日本までの日本海側は連休にかけて大荒れのようですね。
臨床教育研究所「虹」のレインボーリポートVol.15「教育委員会に関する教師の意識調査」が完成いたしました。12月に刊行された『教育破綻が日本を滅ぼす!』にも使用されたデータが、より詳細に載せられています。レインボーリポートのご購入等は、お電話もしくはメールにてお問い合わせください。
あっという間に1週間が終わりました。よい週末を。
投稿日:2009年1月7日 カテゴリ:虹の小噺
この時期はやはりバタバタしてHPの更新も滞りがちになってしまいますね…。
本日尾木は収録の合間に原稿などの作業に集中しておりました。
明日の5:45頃〜TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう一直線」に尾木が電話生出演いたします。どうぞお聴きください。
投稿日:2009年1月5日 カテゴリ:虹の小噺
新年明けましておめでとうございます。
休みボケをする暇もなく、「虹」は本日もバリバリと稼働しております。
本年も引き続き、尾木直樹と臨床教育研究所「虹」をよろしくお願い申し上げます。
投稿日:2009年1月1日 カテゴリ:エッセイ
「どうしてお父さん、法学部を薦めなかったの? 私、弁護士か薬剤師がよかったかも」
えっ! ウソだろう? そんな! わが子の進路を親が決めるなんて。モンスター級の“教育パパ”じゃないか―。大学生の娘が、自分の進路を考えあぐねて、ふと漏らした言葉に私はびっくり。
確かに、資格は職業に結びつきやすい。私も暗記が得意な娘を見て、弁護士もいいかも―と思ったことはあるものの、倍率は高いし、勉強漬けというのもかわいそうだと、法学部への進学はあまり強くは薦めなかったのだ。
「どうしてお父さんもお母さんも、自分たちが理数系が苦手だからって、自分の子どももそうだと思い込んだの? 本当は私、数学好きなんだけど…。ずいぶん進路を狭められてしまったなぁ」と、娘は不満を漏らしたこともある。
うむ、確かに当たっているかもしれない。夫婦そろって数学は大の苦手。てっきり、親の得意不得意はわが子にも遺伝するものと信じていた節がある。
あーあ、理数系にもっと目を向けておいてやればよかった。ひょっとしたら薬剤師なんていう道も、うちの子に合っていたのかもしれない―なんて後悔することしきりである。
「親が方向付けしてやらなくてどうするんです。本人は情報も判断力もないんですから」などというお父さんにもよく出会う。しかし、その都度私は、なんという“教育パパ”なのかと半ばあきれていたものだ。それだけに、わが子からそういうパパぶりを求められるとさすがに動揺する。自分は間違っていたのか。もっとわが子の進路に口を出したほうがよかったのだろうかと思ってしまう。
いやいや、そんなはずがない。「よい子」が親の期待に応えられなくて、すべてをリセットしたいと「父親殺し」に走ったり、自宅に放火して母親と弟妹が犠牲になる痛ましい事件が起きたりしているではないか。どう考えても親が方向付けするのは間違いだ。迷いながらも自ら進路を切り拓いていく意志と学力を身につけさせてやることが親の務めなのだ。
教師という職業柄、多くの子どもや若者の進路に付き合ってきた。その経験から言っても、親や教師の役割は、キャリアを拓く芯になる部分を耕してやること、鍛えてやること以外にはない。先回りして人生設計を描いてやることではないはずだ。第一、そんなプロセスを経て職に就いても、いずれ出合う困難を打開していく情熱が持てなくて、途中で投げ出しかねない。最近の政治家を見ても、世襲議員の脆さはよく批判されているではないか。
しかし、振り返ってみると、私自身ひょっとすると“教育パパ”だったのかもしれない(?)
上の娘の子育てなど、妻が働いていたこともあって、いやいや、私が子ども好きで器用だからという理由から、乳幼児期はほとんど私一人で子育てしたようなもの。授乳からオムツ交換、離乳食づくり、保育園の送迎を含めて、何でも一手に引き受けていた。
そのせいか、娘は大学生になっても「お父さん、一緒に洋服買いに行こうよ」などと誘ってくれていた(もちろん、私のサイフを頼った下心も透けていたのだが)。
心優しい子、感性豊かな子に育ってほしいと、毎日絵本の読み聞かせにいそしんだものだ。数百冊の絵本を買い、一時は家庭文庫を開けるほどの冊数に達していた。それでも飽き足りなくなった私は、娘に添い寝しながら毎晩“パパのお話”を語り聞かせて楽しんでいた。だからといって、特別、国語好きにも表現力豊かにもならなかったな? “教育パパ”というのも難しいものだ。
「ねぇねぇ、お父さん! 続きはー?」。はっと気づくと、いつの間にか眠り込んだ私を突っついている娘の指の感触が、今もほおに残っている。
(「Let’s!家事おやじ」『佼成』2008年11月号)