“笑い”の健康家族
投稿日:2002年8月1日 カテゴリ:エッセイ
「あれ? 確か、ここにかけておいたはずなんだけど……」
テレビを見ていたら少し冷え込んできたので、カーディガンでもはおろうと部屋を見回してみるもののどこにも見当たらない。変だな、先程ここにかけたはずなのに……私もいよいよ年かな、「ボケ」の始まりかな、と少し自己嫌悪に陥っていると、長女の大発見したような甲高い声。
「あっ、お母さんが着てるヨ。お父さん」
見ると、私のお気に入りの白いカーディガンを妻がちゃっかりはおっているではないか。
「それ、ボクが大切にしている物なんだヨ。台所仕事に着るなんてあんまりだよ。しょうゆでもこぼしたらどうするの」
ムッとする私。しかし、妻はあわてるそぶりもわびる気配もさらさらない。
「あっ、ホント、あなたのだったの。だってちょうどいいところに置いてあったわよ」
脱ごうともしないで、そのまま台所で油炒めにとりかかろうとしているではないか。慌てて私は妻の赤いカーディガンを取りに二階の彼女の部屋へ駆け上がった。そして、台所仕事の邪魔をしないようにそっと後ろから着替えさえた。
やれやれ、これで一安心。
「でもね、お父さんなんかいい方だよ。私なんか下着から靴下まで何でもお母さんのものにされちゃうんだから――」
娘はここぞとばかりに半ば笑いながら訴える。
しかし、妻はというと「ホントウ? だって、どこが違うかよく分からない。
名前書いてないし、どれも同じなんですもの」。
なるほど、名前が書いてないか。ほんとに、その通りだな。正直に言うもんだ。
先日もひょいと妻の方を見やると、どうしたことかいつもより首が短く見えるではないか。
「どうしたの?」
「うん、前後逆に着たみたい」と涼しげ。直そうともしない。
近づいてよく見ると、裏返しで前後ろも逆。タグがあごの下にくっきり見えているではないか。生地といい柄といい、材質といい、サカサ裏返し着用もオツなもの。
「今年の流行になるかもね」と三人で大笑い。
テレビのチャンネル争いでは、「泣く子と地頭」ならぬ「妻には勝てぬ」我が家。妻はサッカーと将棋が大好きで、将棋など、わざわざテレビ画面の二メートル近くに正座して凝視。「私は観るんだから」とテコでも動かぬ。一端占拠されたが最後、クッキーとコーヒーを片手に二時間はテレビの前から離れない。どんなに周囲が忙しくても、妻の周辺には常に悠久たる時間が流れているようだ。
女優の中村玉緒にそっくり。
おかげで我が家も常に笑いが絶えない。理屈ぬきで楽しいのだ。
ところで、私の仕事はフリーの評論家。サラリーマンの人々からは「自由でいいね」とよく羨ましがられるのだが、ヒマになる恐怖におびえながらいつも”フリーに忙しい”に過ぎない。休日だから、夜だからと仕事を断れないのだ。だから健康に気を遣っている余裕などないのが現実。そんな私の唯一の健康の秘訣は、いつも笑わせてくれる妻の天然ボケが生む素朴さと開放感。腹を抱えて笑うたびにストレス発散。心身ともにエンパワーメントされる。”笑い”は私の最高の健康法なのだ。
(『月刊 健康』 2002年8月号より)