心に残る食べもの
投稿日:2007年7月1日 カテゴリ:エッセイ
「記憶に残る一品」なら、少し目をつむると、次々に浮かんでくる。北海道から沖縄まで、全国各地を講演活動で歩き回っている私にとって、「味の一品」なら数え切れない。
ところが、“心に残る一品”となると、文句なく「素うどん」。これ以外にない。
素うどんとは、紛れも無く、あの何の具も入っていないうどんのこと。アメ色がかった透き通る関西風のツユに、ゴツゴツとした太い手打ちの麺。緑色の長ネギに薄切りの紅いかまぼこが2切れ。色も鮮やかに白い麺の上に添えられていた。
「直樹、お誕生日に何が食べたい? 何でも好きなもの言ってごらん。お母さん腕によりをかけるからね」
小学校低学年の頃。誕生日を翌日に控えた朝、母が私にこう尋ねた。
私は即座に「おうどんがいい」と答えていた。
「えっー、そんなのでいいの」
母は私をのぞき込むように、真顔で聞き返したそうだ。
ミルクなどの物資不足もはなはだしい終戦直後、私は未熟児で生まれた。おまけに母乳がほとんど出なかった母は、大根などのおろし汁に工夫して甘みをつけたものを、涙を流しながら私に飲ませていたという。
だから、お誕生日くらい、栄養のあるごちそうを思いっきり食べさせてやりたいと願っていたようだ。母には、誕生日の食事には特別の思い入れがあったに違いない。それなのに、意外にもわが子は“素うどん”をリクエストしたのだから、母もびっくりしたことだろう。それなら、と余計に心をこめて麺を打ち、煮干をたっぷり入れたツユを仕込んだに違いない。
私はあまり上手とはいえないハシ使いながらも、そのうどんを一生懸命つまんでツルツルと飲み込んだ。あの、のど越しのゴツゴツとした感触。あれこそきっと、「大きくなれ、丈夫になれ」と願った母の祈りそのものだったのかもしれない。
いつまでも「心に残る」、私だけの一品である。
(『食べもの通信』2007年7月号より)