ゴミ出しの“教育力”
投稿日:2008年2月1日 カテゴリ:エッセイ
「おっ、きょうは木曜日だー」
朝食を済ませて居間の時計を見上げると、8時半。私はすぐさま、ゴミ出し作戦の開始。
まず台所から。流しの三角コーナーに残った生ゴミの水を切って、ビニール袋に入れ、口を固くしばる。
次に三角コーナーをタワシで洗う。夏場は2,3日もたつと、すぐに黄色いぬめりが生じて臭うから厄介だ。だから、あまりためないで小まめに部屋の中のおしゃれなポリ容器に移しておく。同時に、きれいな状態であっても、三角コーナーにはその都度、軽くタワシがけをする。この2つがゴミ出しの“極意”だ。汚してからでは遅い。原状回復に大きなエネルギーを要するからだ。汚れていなければ、洗うのに1分も要しない。そして、水きり袋をかけて流しにセットする。これで台所は完了。
あとは各部屋のゴミの収集だ。ポイントはゴミの分別。ほとんどは、プラスチックと紙の2種類に分別できる。汚れたりして、生ゴミとして出すべきものは本当に少ない。一家4人、3日間で20リットルの袋で十分。あとは、火曜日のプラスチック類、金曜日の雑紙類の日に出せばスッキリ。
緑色の有料ゴミ袋の口をギュッときつくしばり上げる。するとホッと一息。快感とともに充実感がわくから不思議だ。わが家の駐車場にある大きなポリ容器に入れ、収集車のおじさんが取り出しやすいように置く。
「ヨシ、できたぞー」
いつも私は一人つぶやく。エコ参加の実感もわく。
腕時計を見ると、すでに8時45分。9時から研究所のミーティングだ。それまでに、朝食の後片づけと茶わん洗い。これがまた大変。いや、洗う作業がではない。いかに洗うのかが問題なのだ。液体洗剤をしみこませたスポンジで、「ササッ」と食器類を洗いシャワーで流せば、キュッキュッと音がして光る。《これでよし、完璧だ》と自信を持って水きりカゴに入れる。しかし、それからがまた大変―。
「お父さん、またササッとやっただけでしょ?」
娘のチェックが入るからだ。
「そんなことないよ。お父さん、せっけんつけて、ちゃんと洗ったよー」
もちろん私は反論。ところが…。
「ホラ、見て、まだ汚れてる」
茶わんを目の位置まで掲げ、部屋の明かりにかざして汚れを見せるのだ。
「へんだねー。ちゃんとやったんだけどねー」
と力なくつぶやく私。証拠を突きつけられては、どうしようもない。
こんなセリフのやりとりを、これまでわが家は何回繰り返してきたことか。なぜなら、いつまでたっても私が本気になって改善しないからだ。
というのも、《少しくらい汚れていたって、大丈夫。自分が子どもだったころ、農家ではまともに洗っている家なんてなかったのだから―》などと、心のなかはいたってのんき。今日の食品表示偽装や賞味期限改ざんより、ずっとかわいい。悪意も、何の利益もないのだから。
「あーっ、ごめんごめん、ほんとにお父さん下手クソだね。何回言われても直んないねェ。もう年かな」などと言葉をにごす。
クレームは「家事おやじ」の悲哀? ところが、私はうれしいのだ。文句であっても、家族の期待に張り合いを覚えているのかもしれない。
やっぱりおやじの家事は、家族の絆を強める。
(「Let’s!家事おやじ」『佼成』2月号、2008年2月)