大失敗した私
投稿日:2008年6月1日 カテゴリ:エッセイ
確か、上の娘が大学一年生の頃である。
「どうしたの?チョコは嫌いじゃなかったの?」
絨毯一面にチョコの包装紙が散乱した、娘の部屋に足を踏み入れたとたん、私の口からは、そんな言葉が飛び出していた。
ところが、私の顔をしばらくじっと見入っていた娘の両目から、突如としてハラハラと大粒の涙が頬を伝った。
「だって―」
意を決したかのように、娘は口を開いた。
「お父さんも、お母さんも、チョコを食べないと喜んだんだもん―」
「ええっ!それで、これまで食べなかったの?お父さんたちは虫歯にならないように気をつけていただけなんだけど―少しなら元気も出るし、かえって体にいいんだよ」
私は、焦って弁解していた。
「だから、いろんな人から頂いた時も口にしなかったの?我慢していたの?」
フーっ。私は20年間分の、長い長いタメ息をついていた。
〝子の心、親知らず〟とは、まさにこのこと。
さらに驚かされたのは、大学を卒業する先輩から不要になったテレビとファミコンを譲り受けた時。
ふと気付くと、娘はテレビの前に陣取り、ゲームに熱中。
実は彼女、テレビの視聴時間は誕生以来、小学校に上がるまで、合計しても数時間足らず。「テレビ嫌いっ子」だったのだ。だからこそ、ファミコンも買わなかった。
学校で、保護者からテレビやファミコン漬けの悩みを耳にすると、どうしてそんな簡単なしつけもできないのか、本当に不思議だった。
ところが、ここでも娘は、テレビ視聴をあまり好まない「親の意向」を鋭く察知。テレビ嫌いの「イイ子」になっていたのだ。チョコもテレビも嫌いな「イイ子症候群」に陥っていたのだった。
それからしばらくの間、娘の部屋には、深夜までチョコ菓子片手に満面に笑顔を浮かべながらテレビに見入る娘の姿があった。
あの涙は、今でも私の脳裏に焼きついて離れない。
わが子育て史上、最大のあってはならぬ失敗であった。
子は親の「本音」を読みとる天才だ。そのことを忘れて長期間娘の心を縛り、いつの間にか親が求める「イイ子」を演じさせてしまっていたのだ―。
娘は本当に明るい、保育園の模範っ子。そんな彼女ですら、そこまで親の本音に合わせ自分の要求にブレーキをかけていたとは! 衝撃以外の何物でもなかった。
当然、私も大人の価値観を子どもに押しつけるべきではないことなど百も承知。
だからこそ自主的にものごとが判断できるように、多くの情報を与えながらも自分の力で判断させていた。しかし、それは親の自己満足にすぎなかったようだ。いかにも子ども自身が判断しているかのように、上手に操作していただけにすぎない。
子育ては本当にむずかしい。
とくに、親にとって上の子はすべてが初体験。何事も、育児書と首っぴき。まるではれ物に触る慎重さである。それだけに〝受け手〟の子どもにかかるプレッシャーは絶大だったのだ。
親はわが子と本気になって身体をぶつけ合うこと。すもうをとったり山登りで共通の汗を流したりするのが一番大切だ。子どもと同じ目線で遊び、生活をする時間と空間を多く持たないと、親の本当の思いや願いは伝わらないのだ。理念だけでは空回りして、芯のあるたくましい子は育たない。
あの時の娘も、今では30代。シカゴに住んでいる。
(「Let’s!家事おやじ」『佼成』2008年6月号)