親父はつらいよ
投稿日:2008年10月1日 カテゴリ:エッセイ
「ねぇー、お父さん。ここによく来たわねぇー」
立ち止まった妻は、「校長室」と書かれたプレートをしげしげと見つめながら、ひとり言のようにつぶやいた。私もつられて眺めると、身の縮むような思いと共にいくつかのシーンがまざまざと脳裏をよぎった。
二人はしばし、校長室前の廊下にたたずみ、文化祭でにぎわう人ごみの中で「校長室」というプレートに見入っていた。
※ ※
「お父さんでしょうか?」
原稿の〆切が迫る中、悪戦苦闘しているというのに迷惑な電話。気もそぞろに受話器を耳にあてると、どこかで耳にした男性の声。「あっ、ハイ!担任の○○先生ですね!」私は即座に記憶の糸を手繰り寄せ、愛想のよい声を発していた。
「あのうー、うちの子が〝また〟何か?」
私の声のトーンは急に消え入りそうに落ちていた。
「ま、お父さん。また学校に来ていただくことになると思います。今度は間違いなく校長室呼び出しですが、私からは一切言いません。本人の口から直接聞いてください。そのように指示し、今しがた帰しましたから―」
こう言われたのでは、返す言葉がない。
「はあー、ご面倒をおかけします。スミマセン、いつも」
しおれるように私は言葉を飲み込んでいた。こうなると、もう原稿どころの話ではない。「担任の口から言わない、なんてことはこれまで一度もなかったぞ―。そんなに言いづらい悪質な悪さをしたのだろうか。マズイなぁ。これはまいったぞ」。
「あなた、うちの子がもしも新聞沙汰を起こしたら、教育評論家終わりよ」といつか言った、妻の声がよみがえっていた。 あれやこれや思いを巡らせているところへ、娘が帰宅。
「お父さん、担任の先生から電話きた?」
意外に明るい。
「うん、さっき。何だか『本人から聞いて下さい』って。先生、すごく怒ってた」
「あー、やっぱり。うん、あの消火器。廊下に置いてるの。あれをまいちゃったの。廊下一面、真っ白になっちゃったー」
言い終わると、横のソファーに娘はふぁーと言いながら腰を下ろした。私はそれを見ながら、内心すっかり安心。よかった、人様を傷つけたり、犯罪を犯したのじゃなくて―と。
そんな安心をしなければならない父親も辛いもの。だが、当時はそんな贅沢言っていられなかったのだ。
とりあえず安堵はしたものの、しばらくすると胸の奥の方から重い衝撃が突き上げてくるのがわかった。
というのも、4、5日前に、娘が消火器はどんな構造なのかと問うものだから、栓を抜くと勢いよく泡が飛び出して、手で押さえても絶対に止まらない、廊下なんかでそんなことになったら大変だし、新しい薬品を詰め替えるのも高いお金がかかるから、誰かがいじったら、注意してやめさせた方がいいよ、とアドバイスしたばかりだったからである。
まさかわが娘がその〝主犯〟になるとは想像だにしなかった。あきれて、私がそのことを口にすると、「うん、だから私、お父さんが言ったこと本当かなーと思って」などとのたまうではないか。なんということを!親父の説明が正しいかどうか試したというのだ。挙句の果てに「お父さん、間違ってたよ。泡ではなくて粉が出てきたよ。真っ白の。掃除、大変だったけど」と「報告」。私が絶句したのは言うまでもない。
その娘が大学生になったある日、私は、勇気を奮って当時の真理を尋ねた。ところが、一言。「なんだか体が勝手に動いてしまった。自分でもよくわからない」と言う。
これも思春期らしい心の一つの動揺だったのかもしれない。が、私は心臓がいくつあっても足りない日々であった。
親父はつらい―子育てはむずかしい。
(「Let’s!家事おやじ」『佼成』2008年10月号)