東京新聞(6月27日付)に尾木直樹のコメント記事掲載
投稿日:2009年7月1日 カテゴリ:コメント
学校現場の指導法「ゼロトレランス」
国立教育政策研究所が首都圏の小中学校で2004~06年度に行った調査で、8割の子どもがいじめにあったり、加害者になっている実態がわかった。教育関係者の中には、この数字以上に、いじめが見えづらくなっている傾向を心配する人もいる。いじめを水面下に潜ませているのは、「規律重視」「悪は排除」を基本とする文科省の方針(「ゼロトレランス」)にあると言うのだが…。
「ゼロトレランス」を逐語訳すると「トレランス(寛容)がゼロ(ない)」。1990年代、銃や薬物、暴力がまん延した米国の学校で導入された。生徒の相談に乗り、理解することに重点を置く従来のやり方とは一線を画し、厳格な態度で臨むのが特徴だ。
国立教育政策研究所はこうした指導法の広がりを「子どもによる重大事件続発をきっかけに、毅然とした生徒指導が必要という議論になった。厳罰化ではなく、事前に決まりを明示して、段階的に注意や処分をする。いまやゼロトレランスという言葉が必要ないほど浸透した」と説明する。
加藤十八・中京女子大名誉教授は「悪徳・非行行為はいかなる理由があろうとも厳しい措置を取る、というのがゼロトレランスの考え方。いじめは学校規律の乱れから起きる。規律を正せばいじめも結果的に防げる」と解説する。
【尾木直樹のコメント】
いじめは発見されにくい上に、携帯を使ったやり方が主流となって、ますます見えにくくなっている。それなのにゼロトレランスは見えるところだけが対象。いじめの防止も抑止も難しい。
いじめ対策に一番必要なのは、どういうことをしたら他人は嫌な気持ちになるかということに敏感な感性を育てること。ゼロトレランスの精神は、短絡的な罰則主義。暴言を吐いたら何点マイナスなどと機械的に罰するやり方では、なぜいじめたのか、背景や子どもの心理をつかもうという指導がおろそかになる。
東京都教委は、教員が職員会議で挙手することすら禁じた。教員ががんじがらめに管理されて指導力が落ちる中、ゼロトレランスのような機械的な指導の方が楽だという理由で受け入れられているのではないか。