第9回:全国学力テスト:鳥取県の学校別結果開示
投稿日:2009年10月6日 カテゴリ:教育insight
■結果公表に見る競争原理主義と人権侵害
09年9月7日、鳥取県教育委員会は、同年4月に実施された第3回全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果について、全19市町村別に加えて、各学校別平均正答率まで開示した。大阪府や秋田県などでも公開されたのは市町村別データのみであり、学校別の結果まで踏み込んで開示したのは、鳥取県が初めてである。
文科省(初等中等教育局参事室)は「文科省の方針を理解いただけなかったのは残念だ。開示結果が独り歩きし、地域や学校の序列化を招く恐れがある」(「朝日新聞」09年9月8日付)と懸念を表明した。
この鳥取県の学校別結果開示の問題は何か。どこがどのように間違っているのかを検討する中で“学力向上”とは何なのか、その意味について考えていきたい。
■4つの問題点
鳥取県の問題点の第一は、「明らかに実施要領に沿っていない」(前出参事室)という「実施要領違反」であるということ。公的な事前の約束ごとを、まるで“後出しジャンケン”のように事後に勝手に無視するのは、その内容の如何にかかわらず、まったくフェアではない。民主主義を体現すべき公共団体が先頭を切って約束を反故にするとは、公僕たる公務員精神や憲法にも反する行為であると厳しく批判されても仕方あるまい。
第二に、全国学力テストへの実施参加を決定したのは、あくまでも市町村の教育委員会であって、県教委ではない。文科省や国に対しては「地方分権」を錦の御旗に掲げながら、その返す刀で市町村の裁量権を踏みにじり、県行政の価値観や手法を強権的に貫こうとする姿勢はいかがなものか。地方分権あるいは最近の「地方主権」という民主主義の概念から考えても、何という「御都合主義」であることか。
第三には、あまりに「教室」という現場を知らなさすぎるという問題である。
鳥取県は昨年12月、県の情報公開条例を改正し、開示請求者に対して学校の序列化や過度の競争が生じることのないように「配慮」を求める規定を追加した。その結果、今回のデータからは1学年10人以下の学校が除外されたのだが、本来請求者のみに開示されるデータが万が一流出した場合、このような「配慮」はまったく無意味なものとなる。
というのも、児童・生徒数に関わらず、だれが学校の平均点の足を引っ張っているのか、データを見れば子どもたちには一目瞭然だからである。11人以上の学校であれば公表しても問題ないというのは、「教室」という現場を知らない者の判断といえよう。
特に下位となった学校では、「足を引っ張る子」、「できない子」に対する冷たい仕打ちやいじめが行われる危険もあるのだ。文科省が定めた実施要領に違反してまで公表するというのならば、「配慮」などというあいまいな規定ではなく、こういった危険までも考慮するべきであろう。
第四には、学力は児童・生徒の個別の問題であり、個人の責任としてとらえているからこそ、結果を個人に返すのである。にもかかわらず、首長たちが集団単位の「平均正答率」によるランキングに目を奪われるのは、どうしたことか。「平均正答率」で学力が低下した、向上したと騒いだところで何の意味もなさないのではないのか。これは、データ依存による本質的な矛盾といわざるを得ない。
■競争は学力向上に必要なのか
鳥取県の場合、学校別のデータ公表については、科目によって、小学校では12.1~18.0ポイントの差があるものの、中学校はたったの5.1~10.0ポイントにすぎない。こんなに小さな差しかないのに、その混乱ぶりと、得点力アップへの取り組みをさせられる学校現場が気の毒になる。
全国学力テストの結果を開示する首長たちはそろって、学力向上のためには競争も必要、結果開示は行政の説明責任だなどと言う。しかし、「適度な競争は学力向上への取り組みを活性化させる」(「読売新聞」09年9月7日付)などという考えは本当に妥当なのだろうか。競争は「過度」だからダメ、「適度」ならいいという性質のものではないはずだ。
たしかに“数値”は目に見え、だれにでもわかりやすい。たとえば大分県では、県教委が学力向上対策として、学力テストの結果公表などを条件に教員加配とリンクさせたり、多くの自治体では、数値目標と教員評価を連動させている。しかし、こうした競争原理にもとづく数値目標や結果責任論は教育条理にそぐわない。近年の「小泉・竹中」両氏の構造改革路線がもたらした「教育改革」で、現場は不毛な競争に追いたてられ、教師は疲弊し、教育現場は破綻寸前である。
“支えあい”“励ましあい”という“共創”の教育を生みだす現場の発想と工夫こそが、今求められているのではないか。