第11回:短期集中連載②:よいテスト、悪いテストとは何か
投稿日:2009年11月24日 カテゴリ:教育insight
■アメリカのすぐれた例
前回は「テスト競争」の弊害について述べたが、それぞれの地域の特性や学校・保護者のニーズを把握し、地域としての教育効果を上げたいのであれば、地域限定型の、あらかじめ調査目的を明確にした上でのテストの方が、教育行政上は全国一斉型よりはるかに科学的で有効だろう。
たとえばアメリカのテネシー州における「スタープロジェクト」はその意味でわが国でも参考になるかもしれない。少し紹介しよう。
テネシー州は他州よりも教育水準が低かったため、すべての子どもの学力水準を上げ、就職しても困らないようにすべく、1984年からこの計画をスタートさせた。1クラスを15人にするとどのような効果が現れるのかを調べたのである。その結果、15人学級にすると、特に少数民族や女性では優秀な児童・生徒の数が2倍になることや、1年間よりも4年間継続した方が2倍もの効果が現れることなどが明確になった。この「スタープロジェクト」のおかげで、補習や特別な教育を与えるためのコストが減り、「落第者」が12%から2%に激減しているのである。
このような諸外国の先進的な事例なども研究・検討し、それぞれの地域ごとに、学力を向上させる方法や実践の研究、開発、交流を国としても、また地方自治体独自でも、創造的に推進すべきだろう。
第三に、そもそも21世紀の国際社会が子どもたちに求める学力とは何なのかについて、広く徹底的に議論し、研究することである(2000年、OECDは“21世紀を生きる学力”は「知識基盤社会」における「キー・コンピテンシー〔主要能力〕」としている)。
たとえば、フィンランドは1990年代に失業率が20%近いという経済的危機に直面しながらも、今日の日本のような極端に新自由主義的な競争や、何でも「官から民へ」のスローガンの下、規制緩和と経済効率、教育の民営化路線に走ることなく、すべての子どもに平等な教育機会の保障と、フィンランド・メソッドと称される子どもたちの洞察力を豊かに育てる学力構造を開発し、幼児期からの実践を重視し、教育に充分な予算をつぎ込んだのである。
学費は小学校から大学院まで無償という大胆さ。その結果として、2000年にはPISA調査において学力が世界のトップであることが証明された。学力ばかりか、経済の競争力もこれまた一気に世界のトップに押し上げ、その後も安定して高いポジションを保持し続けているのである。こうした例に学びながら、わが国も理論的にも実践的にも日本に合致した学力向上への展望を構想することが重要といえよう。
■テストによる“新しい差別”
ところで、教育施策に関しては、目先の目標ではなく、国づくりの大きなビジョンを掲げてこそ、学力テストも意味を有してくるのである。未来への目標を掲げ、その展望を切り開くためにこそ、探究心や学びの意欲・態度も強く自律的に芽生え、教師の予想をはるかに超えて伸びていくのである。また、そうなってこそ子どもたち自身が真実を発見し、疑問や課題を解決するためのリテラシーや、基礎学力といわれる力も有効に活用・深化させることができるのではないか。
しかし、早期に子どもを序列化・選別し、子ども間、学校間に激しい競争と「新しい差別」を生み出す悉皆方式による全国学力テストではまったくの逆効果。これは「全国」規模ではなくて、都道府県、市町村規模であっても、悉皆方式を採用し、順位を競う限り同じように逆効果である。
現状の肯定・容認路線ではなく、子どもたちが“21世紀を切り開く力”と“自己実現する”ためにこそ必要とされる学力と、それを支える教育システム、教育環境とは何かを熟考する素材となるテストこそが求められているのである。さらにはその実現に役立つ調査としてのテストこそ行政が行うテストの役割ではないだろうか。
むろん、個別の生徒がどこまで学習課題を理解しているのか、またどこでどうつまずいているのかなどを一定期間に限定したり、学んだ直後に定着度や理解の状況、あるいは豊かで独創的な発想力や論理力を推察するためのテストもある。
しかし、それは何も都道府県や市町村単位の悉皆調査で、しかも競争する必然性などまったくない。テストの主催者は、日々ともに教え学んでいる教師自身であるべきである。教師は一人ひとりの学習状況を詳細に把握しているだけでなく、生活実態や家庭環境なども理解しているからこそ、テストの得点の裏側に潜む生徒の実生活や苦悩、生き様、考え方などと合わせて、学びをリードできるのである。