第12回:短期集中連載③:PDCAサイクルの罠
投稿日:2009年11月25日 カテゴリ:教育insight
■「目標管理」思考から脱却せよ
近年、教育界全体を貫いてきた思想は新自由主義であり、その発想は、「市場原理」である。何でも数値目標を掲げさせ、その達成のために「PDCAサイクル」で競争をあおり、「目標管理」するのである。
「学力向上」に関しては、前々回で詳述したように「全国学力テスト」がその牽引的役割を果たし、これに小中学校の「学校選択制」がセットされ、学校の存続自体が“競争”にさらされる仕組みである。すさまじいばかりの学校の「商品化」といわざるを得ない。
「消費者」は親である。選別される側の学校にとっては県であれ、市区の主催であれ「学力テスト」の正答率という数値と学校選択による生徒数の増減は、あたかも“天の声”にも等しい絶対的な力に思える。
さらに、こうした危険な“偽装”「教育改革」の落とし穴を見抜き、その問題点を社会に告発すべき大学までが、残念なことに大学基準協会などの「外部評価」にふり回され、率先して数値を求めている。
こうして、出口のないエンドレスな状態の「PDCAサイクル」による「目標管理」体制というワナに陥っている有様である。
大学まで含めて、教育界全体がこんなふうになれば、弱肉強食、結果責任論の新自由主義にとっては怖いものなし。「選択と集中」、つまり、数値という数の力をふりかざしての“偽装”「改革」が「改革」の名の下に次々と断行されてきたのである。
義務教育課程と高校で、これと教育行政における密室性の高いヒエラルキーが融合すれば、大分県や東京都の教育委員会にみられる、時代錯誤的で暴力的な権力が猛威をふるうことになる。二重、三重の偽装がなされるまでにモンスター化していくのである。
このような状況をあと10年も20年も放置することはできない。なぜならすでに、その矛盾は限界に達しており、子どもと教員が悲鳴をあげているからだ。政権交代を機にどうしても舵を切り替える必要がある。
■子どもの権利条約の力
では、「変える」にはどうすればよいのだろうか。
やはり、「子どもの最善の利益」の実現のために、教育学に裏付けされた「教育条理」に基づく「教室と学校」を求めて、地域も協働して実践することが重要である。そのために国がすべきことはまず、子どもと教員にゆとりを与え、教育環境や条件整備にたっぷりと資金を投入すること。教育への投資は、まさに「未来への投資」(フィンランド)であり、「国家の資産」(オランダ)でもあるのだ。
そして、改革のプロセスにおいて、教員と子どもの声を丁寧に聞くことが必要である。また、子ども参加の視点ですべての教育施策を推進することだ。
さらに、これが最も大切なことかもしれないが、結局は子育てと教育にかかわる一人ひとりが、自己の願いや思いを外に向かってしっかり表現すること、自由に自分の考えを発信し、共感者とつながることである。
この2009年という世界史的な転換期を私たちがいかに生きるのか―とくに教育関係者が歴史の回転軸として生きようとする姿は、子どもたちに対する何よりの励ましになるはず。学びの意味を教える最高の「心の教育」といえる。
あとは、私たち一人ひとりのほんの少しの“勇気”だけではないだろうか。
横へとつながり、小さくても「連携と協働の絆」を無数に結びたいと思う。
【終わり】