投稿日:2010年1月28日 カテゴリ:教育insight
投稿日:2010年1月28日 カテゴリ:教育insight
■本気でリーダーを育てる「立志塾」
立志式を行っている自治体は、それほど珍しくない。しかし、当市の「各務野立志塾」は年に夏冬2回、合宿形式で「次世代リーダーの育成」を目指す。単なる「式」ではない点が教育そのものとなり、大きな効力を発揮している要因となっている。
市長の森真氏は、その目的を次のように述べている(報告書より)。
次世代の人づくりは、政治の最も大切なことです。歴史上、活力のある時代、国家の行末を真剣に考えた指導者たちは、皆そう考え実行してきました。(中略)
人づくりの目的は、人格の形成にあります。そのために、知・情・意・体の向上を鍛錬します。とくに青少年期は将来に対し、夢をもち、それに向かって努力することが大切です。
各務原市は、このため文部科学省の教育指針の上に本市独自の教育施策を実施しています。そのひとつが、夏と冬に行う「各務野立志塾」です。全中学校の生徒会役員を対象に行います。会場は世界遺産白川郷のある五十万坪の美しい原野の中のトヨタ研修施設です。塾長は商工会議所幹部、講師は商工会議所会頭、大学教授、そして各務原市長等です。
昼食の後、各中学校の生徒会の福祉や環境などの取り組みについて生徒のプレゼンテーションがありました。全く見事な説明で感心しました。また、私への質問の時間ではほとんど全員が手を挙げ、驚きました。
密度の濃い「各務野立志塾」は、生徒たちの本来もっている資質を引き出し、生徒の指導者としての成長に抜群の効果があります。さらに、他の生徒への指導力や好影響が見られ、うれしい限りです。
では、市長が述べている講師たちの講義内容とはどのようなものだろうか。驚くべきことに、相手が中学生だからといって、少しも子ども扱いや手抜きをしていない。例えば、市長の「行政のトップから学ぶ」の講義概要は次の通りである。
講義概要
(1)プレゼンテーションの感想
・中学生のレベルとしては、すばらしいできだった
・「マイナス6%意識改革」「桜回廊計画」ともに広報誌に掲載する
(2)夢と志
・目標や夢をもつには読書が有効
・夢はみるもの
・志とは夢の実現に向かって努力すること
(3)クラーク博士に学ぶ
・青年よ大志を抱け
・校則は「Be gentle」(紳士たれ)ただ一つ
(4)リーダーの条件
①公につくすスピリット
②近未来の洞察力
③信念と不屈の精神
④決断力・推進力
⑤スピーチ力・アピール力
これに対して「塾生」の感想は
僕は市長さんのお話を聞いて「努力」がどれだけ大切か改めて感じました。
その中でも「夢に向かって若いうちから努力する」ということがとても心に残っています。まだまだ僕自身の夢は決まっていませんが、これからがその夢に向かって努力をする大切な時期だと思うので、自分を見つめなおして自分にあった将来を考えていけるといいと思いました。そのためにも市長さんが言われたように、読書を大切にしていきたいです」
と実に素直である。
一方、「大学教授から学ぶ」では、地元の短大学長が丁寧にやさしく、思春期の中学生の心に「生きること」の意味を語りかけている。したがって、「塾生」の感想も、自分の心を見つめながら自己を相対化していることがよくわかる。
長い人生の中、常に自分自身を捜し続ける、ということに共感しました。今こうして生徒会の活動をしていることも、本を読んだり勉強をしたりすることも、全て自分を探すための過程なんだなぁ、と思いました。
リーダー像などは他の講師の方とは違っていて、いろんな人と想いを共有し、同じ立場になることも大切だと思いました。
さらに、多彩な講師陣のパワーが中学生に直接響いていることも確認できる。
夏季塾長である柳原幸一氏の「塾長講話」は、いかにも民間人である。講義もユニーク。
講義の概要
(1)気に入っている言葉
・「夢」は神様が実現しても良いと言ってくれたパスポート
・生きることは借りをつくること、生きていくことはその借りを返していくこと
・やってみせ 言ってきかせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かず
(2)人生にはメリハリが一番大事
・目標は3年くらいのスパン、できなかったら切り替える。取り組んだ歴史はいつか必ず役に立つ時が来る
(3)評価
・一番評価がたかいのは新しいことに挑戦し、成果をあげた人
・二番目は、新しいことに挑戦したが失敗に終わった人
・三番目は、与えられた中で成果をあげた人
・一番ダメなのは、何も考えず、成果もない人
(4)2:6:2の法則
2…言われなくてもできる人
6…言われたことはできる人
2…言われたこともできない人
(5)リーダーに共通すること
・高い志
・使命感
・存在価値
・プラス思考
・あきらめない
(6)読書の大切さ
・教養
・自分の思いを適切に表現できるようになる
■生徒が“変わる”
教育の最大の目的は、生徒自身の自己決定として、子どもが変革され、成長・発達を遂げることである。教育は、その環境を整え、サポートすることである。
「各務野立志塾」では、それが見事に成功している。
例えば、先述の塾長講義を聴いた女子中学生は、報告集に次のように感想を寄せている。
変わるきっかけをくれた立志塾
「『責任感』『優しさ』、これはリーダーに大切なことです」と言われたとき、私は自分の姿勢が中途半端であると感じました。そのときの私は、まだまだ多くのやらなければいけないことがたくさんあるのに、ひとつも終わらせることができていませんでした。「部活があるから」「夏休みに入ってからでいいや」という気持ちがあり、生徒会の仕事を後回しにしていました。そんなだらだらの中、私は立志塾を迎えてしまいました。こんな気持ちで迎えた私には、自分が学校のためにやりたいことをもっている人が、とてもすごいと感じました。しかし、それは思うだけで心のどこかでは今までと同じ思いでした。
講話を聞き、一日目は「できるかなぁ?」と思いました。だけど、二つの講話を聞いて最終日にはやってみようと思うようになりました。そして、2つのことを学びました。
1つ目は「2:6:2の法則」です。それは「自分から考えて動ける人・言われてから動く人・言われても何もしない人が2:6:2の割合でいるというのです。私はこの中でいうと、言われてから動く人でした。先生や周りの人に言われてからしか動いていなかったし、自分で考えようともしていなかったことに気がつきました。しかし、議長である私は自分から考えて動ける人にならなければいけないと思いました。
2つ目は「勝者と敗者の論理」です。常に計画をもっているか、常に言い訳を考えているのかで勝者と敗者が決まるということです。私は計画をもっていない敗者でした。また、私の口からは言い訳が出てしまっていました。言い訳は逃げていくために一番簡単な道で、リーダーとして恥ずべきことだと思いました。立志塾ではこの2つ以外にもリーダーとして多くの大切なことを学びました。また、他の学校と交流をし、それぞれの良さを知ることができました。
今まで中途半端だった分、立志塾から帰ってきてから体育祭の準備はとても大変でした。先生に言われて動くことが多くあった私が、前日に自分で次の日に何をしたらいいのかを書き出し、すぐに取り掛かれるようになりました。体育祭の練習の時には、全校のみんなが静かになるまで待ったり、礼をしっかりしているかを見たりすることができました。
ほんの少しだけれど、私は立志塾をきっかけに変わることができました。変われたことがとてもうれしいと思います。
(第6回へつづく)
投稿日:2010年1月13日 カテゴリ:教育insight
投稿日:2010年1月13日 カテゴリ:教育insight
投稿日:2009年12月28日 カテゴリ:教育insight
(2)細胞分裂のように発展するPTA活動―地域・子どもとともに
■小学校も中学校も「絆」を大切にしながら
A小学校のスローガンは、「心豊かでたくましい子」。「親がかかわりましょう」とか「全面的に学校を信頼しましょう」など、いずれもどこの学校にでもある目標である。
しかし、単独のPTAといえども、ここはPTA自身の活動力を高めるための研修を丁寧に重視している。だから、PTA活動のツボのようなものが代々引き継がれ、発展しているようだ。
その一つが、子どもの声を大切にしていること。たとえば、ベルマーク集めなどというありふれた取り組みにしても、子どもたちの発案から「地域を巻き込む」。スーパーに回収箱を設置したり、ポスターを作ったり、自治会報に掲載してもらったり、あるいは市民運動会でも回収されて他校にも広がっていく。こうして例年の2倍以上回収できたという。きっかけは「スーパーに置かせてもらったら?」という子どものつぶやきだという。
B中学校のスローガンのひとつは、「親と子が心を開く」。スクールカウンセラーや校長、養護教諭らから「心と体」「心の交流」「食育」などについての講義を聴き、力をつけていく。
具体的な取り組み例も面白い。
実際に親子の心の交流をサポートしていくのだ。どんな言葉に「心」を感じたのか、事例を集める。すると、母の「あんたがいてくれてよかったー」という一言が子どもを「幸せ」な心にしていることが分かったり、「オカン!風邪ひくよー」という子の一言に母が涙ぐんだりしている。
「言葉の力って不思議!」と感動する子どもたち。「子どもに支えてもらってる」と述懐するお母さん。PTA活動をきっかけに、それぞれの家庭でそれぞれにふさわしい色合いで親子の心の絆がつながり始めていくのだ。
■245の子ども会
子ども会育成協議会には245もの「子ども会」が結集している。“異年齢の子どもたちが遊びを通して育ちあう”ことを目的に、もう42年目の活動に入るという。やはり、ここでも「学習⇒例示⇒交流」が会の活動発展の方程式になっているようだ。このパターンによって、伝統が引き継がれ、新しく計画が練り上げられ、次へとステップアップしていく段取りである。
しかし、環境と子どもの変化は激しく、子どもたちは声をかけられるまでじーっとしているようだ。
今、協議会の課題は、①単位子ども会をいかに活性化させるのか②地域とのかかわりの緊密化の2つという。
「ラジオ体操」活動について具体的に紹介すると、次のような子ども参加、地域参加の工夫と知恵を出し合っている。
- 案内状は子どもたちが作成
- 町内会に回覧版で通知
- 一緒に付き添って活動
- 広場のゴミ拾い
- 御礼の手紙活動
何でもない取り組みの中にも、いかに住みやすい街をつくるのか、「絆」を強めるのかといった視点が大切にされていることがわかる。
子どもの体力を鍛えようとか、生活規律を確立させようといった大人目線や訓練主義的発想がにおわないのも、しなやかでいい。
今年2009年は「子ども代表者会の活動をいかに生かすのか」など、やはり子どもに主眼を置いて、「子どもの声を大切に」「子どもと大人が一緒に」などをテーマとした、自分たちで出来るエコ活動やペットボトルの回収などに取り組んでいる。これも「無理なく―」がポイント。だから「わが子の1個」が活動スローガンだ。
この活動にも、やはり回覧版を回すなど自治会役員の協力がある。また、地域のお店も協力する。全体として「子どもの考え、発想力」が大切にされて、「市民運動会」(12月)でも実施しようということにつながっていくのだ。ここが他市の大人から子どもへ呼びかける方式と反対で優れているポイントといえる。
■170もの「親子サロン」が網の目に
こちらは市役所「子育て支援課」による子育て応援プランの一環。
「子育てをみんなで支え合うまち―親子の絆と笑顔のために―」が理念となっている。
具体的には、「家庭の共育力の向上」「地域の協育力の向上―地域の子どもは地域で育てる。子育て家庭を地域で支える」が行動目標だ。
親子サロンは“地域の居場所で時間を共有する”こと。したがって、育児中の親子、マタニティママ、地域のおじいちゃん、おばあちゃんが集う。名前を覚えてもらうといった初歩的目標の実現から実践している。
市の支援は借り上げ料の支払い、ボランティアさんへのアドバイス、月2回のPR(チラシの回覧を回してもらう)など簡単なものだけ。しかし、細く長く続けることやおやつづくりの仲間中心で動いたり、先輩ママさんがサポートしたりと個性と特性、要求をさまざまに生かして活動している。名称も「花いちもんめ」、「プチトマト」、「ニコ2♡」などとかわいい。
「親子さんの笑顔から元気をもらっている」とボランティアさんは元気そのものである。
貴重な教訓を教えてくれる。
(第3回へつづく)
投稿日:2009年12月28日 カテゴリ:教育insight
投稿日:2009年11月27日 カテゴリ:教育insight
投稿日:2009年11月25日 カテゴリ:教育insight
投稿日:2009年11月24日 カテゴリ:教育insight
投稿日:2009年11月19日 カテゴリ:教育insight
■中止でも生き残るテスト“ゾンビ”?
すでに報道されているように、2009年4月に3回目の悉皆調査方式で実施された全国学力テストは、来春の2010年度はとりあえず抽出方式に変更。2011年度以降、さらなる見直しをすることが決まったようだ。もちろんこれは、歓迎すべき措置なのだが、現状をよく見ると、少しも楽観できない。
なぜなら、第一には、今後見直されるかもしれないが、「学級数」の40%という高抽出率になっているからである。これでは悉皆調査とかわらず危険な上、抽出調査に切り替えた意味がない。また、自治体単位での自由参加も認める方向なので、「テスト競争」意識の高い自治体なら、自前で採点し、分析などの経費や業務も一手に引き受け、自らの地域に引き寄せて、もっと競争させ、さらにテスト対策を強化することも可能だからである。
第二に、新政権が抽出方式に切り替えることを見越して、すでに自治体によっては、独自に実施するテストの精度を上げるべく、解析ソフトまで開発しているという。都道府県テストによって市町村や学校を序列化したり、全国学力テストへの自由参加方式を活用することによって、全国での大まかな位置を割り出し、各学校を企業の目標管理方式であるPDCAサイクルに追いこみ、コントロールすることも可能である。むしろ、この二つを効果的に活用すれば、現行の全国学力テスト以上に精度を上げ、強制力を発揮させることも可能である。
こうして、全国学力テストはまるでゾンビのように何度も息を吹き返す。これが「テスト競争」の本質なのである。この競争依存症ともいえる現状から脱却し、個に応じて、すべての子どもの「学力」をどこまで伸ばすかという「教育条理」の通る学校にしなければなるまい。
■テストとは何か
ところで、テストとは一体何だろうか。原点に立ち返って考えてみたい。そうしないと、たとえ政治的な力で学力テストが中止されたとしても、先述の通り、一部の地方教育行政関係者の間では、自治体独自のテストを模索したり、抽出方式への強制的な「自主参加」を促そうとしたりしているからである。
学校におけるテストとは決して“競争”が目的ではない。
テストとは本来、個々の子どもたちの学習上のつまずきなど問題点を明らかにし、教員の指導の改善に役立てたり、子ども自身の学習方法の手直しに役立てたりするためのものである。また、全国調査や全県調査などは、カリキュラム研究や教育政策、財政支援の見直しやそのあり方の研究など基礎資料に資するための一つの方法にすぎない。
そうであれば、第一には、これまでのデータをもっと研究者・公的機関に公開すべきだろう。そして、学校・学級規模、教育方法、地域、経済情況、家庭の文化、親の学歴と学力との相関関係や学力形成に与える環境・条件を明らかにして、行政の教育施策に大胆に生かすことこそ本筋ではないだろうか。
これまでの3回に及ぶ「全国学力テスト」のように、国家が各学校や教員の授業のあり方にまであれこれと口を出したり、生徒個人の学習上の問題点などを分析・検討し、子どもや家庭に改善を勧告したり、地域ぐるみの「早寝」「早起き」「朝ごはん」「挨拶」運動を展開したりするなどという姿勢は、まるで戦前の全体主義国家時代の発想と活動スタイルそのものではないか。どんなに“善意”からの発想であっても、子ども参加抜きの、子どもとパートナーシップを組まない大人の側の一方的な運動では、今日の世界水準における民主主義の感性とは大きくかけ離れており、危険であるだけでなく、恥ずかしいことといわなければなるまい。
第二に、これまでの悉皆調査では、競争的な「対策学習」による影響がテスト結果に如実に反映されてしまう。バイアスのかからないありのままの子どもたちの「学力実態」を把握するためには、抽出調査に切り替え、事前の「対策」が生まれないようにした方が調査としては信頼度が高く、活用もしやすい。
■競争信仰の論理は?
河北新報「持論時論」(2009年10月16日付)に「全国学力テスト一斉調査での継続望む」と題して、前秋田県知事(寺田典城氏)が投稿している。
氏の論点は同じような施策を主張する他の知事の典型とも言える。“競争テスト依存症”にとりつかれた論理を、少し客観的・研究的な視点で分析しておこう。氏は以下のように主張する。
①1964年当時の全国学力テストでは秋田県は全国平均を下回っていたが、今回トップクラスに躍進した。「田舎であっても教育力次第で全国トップクラスの学力を身に付けられることが明らかになった」。
②「教育力」とは、「『早寝・早起き・朝ごはん』という基本的な生活習慣」「非行や犯罪が少ないこと」「少人数学級により、多様な学力の児童・生徒に対応したきめ細かい支援」である。
③以上のことが「テストで結果として表れたことだけでも、全国一斉に行われた意義は大きい」。
④抽出にすると「学校ごとの分析や個人ごとの支援に支障を来す」「教育に情熱を持っている学校や教師から実力を発揮できるチャンスを奪う」「自らの努力を評価されたいと頑張っている学校や児童・生徒の意欲の低下を招く」。
⑤「さらなる学力の向上を目指し、少なくとも市町村ごとの結果は公表すべく」、「政治的リーダーシップを発揮してもらいたい」と新政権に檄を飛ばしている。同時に「地域が一体となった取り組み」の促進も主張している。
■現場教員へのサポートこそ大切
ところが氏は、「グローバル社会」の中で「日本こそ、世界に平和と技術を提供するという大きな意味での国際貢献が必要」とも認識している。「教育こそが日本の生き残りの戦略」だと述べ、世界に貢献できる子どもたちの育成を望んでいる。この点は誰しも合意できるのではないか。
しかし残念ながら、これらの主張の欠陥は、一つは、事実認識があまりに通俗的すぎること。秋田県がトップクラスである原因や背景分析が単純で、甘すぎる。都市部と「田舎」との生活文化基盤の相対的な落差が「学力」の逆転を生んでいることは、福井県や富山県など他の地方都市も上位に位置し、大都市大阪府の凋落が激しいことからも推察できる。
二つは、基本的生活習慣と「学力」は単なる「相関関係」に過ぎず、生活習慣を「教育力」に祭り上げ、「因果関係」までも暗示するのはいかがなものか。この二者はストレートな因果関係ではなく、「遊び」や「自然体験」「人間体験」など抜きに学習効果、「学力」の向上は考えにくいのである。
三つは、基本的生活習慣の重視と学力の相関は、教育界では80年代から「見える学力、見えない学力」論としてあまりにも有名である。同名の著作が80万部を超すベストセラーになったこともあり、とりたてて言うほどの特性ではない。また、新しい「発見」でもないのである。
四つは、全国200万人以上もが参加する超大規模テストで、なぜ「学校ごとの分析や個人ごとの支援」ができるというのだろうか。身近な個別的課題に関してまでも、そこまで国家の力に頼りたいのであろうか。信じがたい権威主義と批判せざるを得ない。
そのような個別の課題に関しては、各学校でそれぞれの教員が責任を持って指導し、日々実践を重ねている。そこへの手厚い支援こそ地方行政、トップリーダーの仕事であろう。
学校と教員を横一列に並べ、「テスト競争」レースのムチを入れることではないのである。
【第2回につづく】