明日に向かって生きる美しさ
投稿日:2001年8月1日 カテゴリ:エッセイ
朝、洗顔や洗濯、犬の散歩などをあわただしく終えると、一階に下りて、私はおもむろにテレビのリモコンを手にする。
「うん、さて今朝はどうかな?」
ニヤニヤしながら独り言。そして、それっ! とばかりに心に気合いを入れてスイッチONにする。
ほんの一秒後におなじみの人工芝が美しい画面が映る。これを確認すると、私はしごくご満悦。
画面の上隅の「SEA」(シアトル・マリナーズ)の得点に目をやる。
ここがたいてい「2」ないし「3」点となっていることが多い。もちろん対戦相手のチームは「0」。
とたんに私は、ヨーシ!!と言いながら、しばし、パーソナルチェアに体を沈める。
短時間でもいいので、アメリカのメジャーリーグの野球中継を見ようというわけである。
残念なことに朝の八時(日本時間)からのプレーボールが多いために、九時からの仕事に備えてすぐにスイッチを切らざるを得ない。これが何よりのストレス。
だから、五時始まりの時は、これ幸いと早起き。六時前にはテレビの前に座っている。
ただでさえ多忙で十分な睡眠時間が確保できないのが悩みというのに、これはどうしたことか。
※ ※ ※
先日、羽田で乗車したタクシーの運転手さんがしきりにボヤいた。
「私らは、朝の六時には仕事を上がって、すぐに眠らなくっちゃいけないのに、このごろはイチローのせいで眠くていけませんや。もう、シアトル・マリナーズの選手の名前も全員覚えちまいましたョ」
言葉ではメジャーリーグを非難しているのに、その声は逆に明るく弾んでいた。
「ホントですねー」
私はおかしさをかみ殺しながら、後部シートから相づちを打っていた。
ほんとうにベースボールがこれほど面白いとは思いもしなかった。
「イチローは、オリックスにいる時からあんなにすごい選手 だったんですかね」
ハンドルを握りながら、運転手さんが尋ねてきた。
「もちろん、日本にいたときからすごかったんだと思いますヨ。でもね、日本の野球はプロレスやサーカスなんかと同じで一種の”見世物”みたいなものなんですよ。”乱闘も野球のうち”などという監督もいるくらいですからね。今、私たちがアメリカンリーグに魅せられているのは、純粋なスポーツとしてのベースボールに接している興奮だと思いますよ」
「イチローは、限界に挑んでいるんです。一六〇キロの速球にも絶妙のバットコントロールで反応する。同時に、トップスピードで一塁に走る。塁に出ると今度は、必ず次の二塁を狙う。二塁を落とし入れるや今度は三塁へと連続盗塁さえ試みる。まるで草原を自在にかける俊敏なヒョウのよう。一つ一つの動作の瞬間が美しいですね。美の連続ですよ」
私もつい調子に乗って口がどんどんとなめらかになる。
「ホントだね、お客さん。私らはね、あのイチローの守備もたまんないすよ。こないだなんかホームランをジャンプして捕っちまうんだから。ライトの深い位置からでも本塁で走者を刺す。すごいよね」
「いやーあれはすごかった。向こうでは光線のようだというのでビームボールって名付けられてるそうですよ」
私たちは、時間を忘れて車中で大いに意気投合したものだ。
※ ※ ※
今、アメリカの大リーガーとして活躍する日本の選手たちは、一瞬一瞬の「打つ」、「走る」、「守る」の動作一つ一つに全神経と全肉体、自己存在すらをかけて挑んでいる。その緊張と興奮を求めて海を渡ったのだ。新庄だってそうだ。阪神が提示した好条件の年俸をキャンセルしてまで、あえて厳しい道を選んだのだ。
そこには、地位や名声そしてお金などには決して替えられないこんなにも魅力的な世界が広がっていたからだ。
限界に向かって無心に挑戦する喜びである。テレビの前の私たちまで、一体になって感動している。
パワーまでもらっている。
どんな人でも、明日に向かって全力で生きようとした時、そこから必ず大きな飛躍が生まれる。
そしてその姿の何と美しいことか。きっと、みなさんも同じである。自分を信じて前進し続けてほしい。
((財)矯正協会 人・わこうど 2001年8月号より)