子どもと大人のパートナーシップ
投稿日:2001年12月1日 カテゴリ:エッセイ
▼ 子どもの声に耳を傾けて
「子どもは、子ども問題のスペシャリストですよ」
四年前に北欧を視察した際、スウェーデンの子ども問題の専門家の言葉を聞いた時、私の全身に喜びの衝撃が走った。スウェーデンでは、直接子どもにかかわる法律の修正や上程には、必ず子どもたち自身の意見を聞くことになっているという。どんなに善意であっても大人の独断専行は許されない。
いじめ問題に対する子どもたち自身の取り組みが小学校でも重視されていた。
学校改築や学校生活、それに授業内容、地域の児童館や公園建設等わが国でも計画段階から子どもの意見や提案を取りいれる企画が少しずつだが目につくようになってきた。
子どもを主役にすえれば、彼らのプライドを引き出し、意欲的に困難にも挑戦する。さらに自己責任感情も形成される。しかも、自分たちをパートナーとして尊重する大人に対して信頼感が芽生える。このような子どもと大人の関係性が構成されて初めて、私たちは社会的モラルを次の若い世代に引きつぐことができる。
これこそ大人と子どもの関係性が健全に機能する社会と呼べるのではないか。
このような子どもと大人のパートナーシップの大胆な導入こそ、今日求められる「教育改革」のテーマではないだろうか。
▼ 徹底したスクール・デモクラシーを
学校にこれらの精神を生かすとすれば、どのようなイメージになるのだろうか。
それは、学校生活にも授業にも行事にも児童・生徒参画を思い切って広げることである。彼ら自身に自己決定させ、結果責任を取らせることだ。
二十一世紀に入ったというのに、学校にはいまだに生活の細部に至るまで「校則」で縛る傾向が根強く残っていないか。
夏休みや冬休みなどの休業中でも、外出時の服装を学校の制服と定めていたり、宿泊に際してはあらかじめ学校へ届けを出させたりするという。高校生のアルバイトの許認可権さえ学校が握っている。
本来なら、当然これらは親権にかかわる事項である。学校がいっさい口を出すべきことがらではない。法律論はさておくとして、このような過保護ぶりでどうして子どもの自己管理と自己責任能力が育成できるのだろうか。親の教育力も発揮しようがないではないか。
年間カリキュラムの編成段階から、授業にも子どもの声を生かす工夫がほしい。例えば年度末の学校評価には、保護者や児童・生徒にも参加してもらう。学校全体の評価に子どもも参画することによって、授業や学校づくりの全体像が見え、責任感も芽生える。学校づくりの主役としてのプライドが育つ。自分たちの声に耳を傾ける教師への信頼感も育つ。こうして育ったプライドと教師への尊敬心は、目の前に立ちはだかる困難に対して、教師とともに力を合わせて挑戦しようとする意欲をかきたてずにはおくまい。
「子ども参画」はわがままを増長させるだけ。厳しく管理・統制・指導してこそ子どもは育つと主張する声も根強い。
しかし、案ずるよりも生むが易し。小さな領域からでもよい。スクール・デモクラシーを理念とした学校づくりへ第一歩を踏み出してみよう。実践こそが、子どものすばらしさを教え、勇気を与えてくれるはずである。
(教育評論 2001年12月号より)